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2005年8月24日 (水)

「あるまじき恥」とは何か

ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。

桐壺の更衣は、第二皇子(=光源氏)三歳の夏に病を得、数日のうちに急激に衰弱して危篤状態で内裏を退出します。
その際、更衣の母君は「あるまじき恥」があってはならないと用心して、皇子は宮中に残して密かに更衣を退出させます。

ここで問題になるのが、「あるまじき恥」とは具体的に何を指しているのか、ということです。
現行の主な注釈書の解釈は、

1.神域である宮中で死んでしまい内裏を穢すこと
2.退出に際して迫害・侮辱を受けること

の2説に真っ二つに分かれています。

1.の説は、益田勝実氏が1968年に発表した「日知りの裔の物語―『源氏物語』発端の構造―」(『火山列島の思想』〔筑摩書房〕所収)が基になっていて、この論文の中で益田氏は、平安中期の天皇にとって死穢がいかに重いタブーだったかを力説しています。
益田氏論を読みますと、宮中で死んで内裏を穢してしまうことは当時の感覚からすれば「あるまじき恥」と呼ぶに相応しい事柄だっただろうと思わされますし、「かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして」との表現からは、愛娘の危篤という緊急事態にあっても、その死を「恥」と捉えて世の掟と人の謗りに気を回さざるを得ない母君、ひいてはこの時代の息苦しさが迫ってくるように感じます。
ですが、「あるまじき恥」が死穢であるとすると、2つ疑問が生じます。
1つは、なぜ皇子を宮中に留め置く必要があるのか。
もう1つは、どうして退出が「忍びて」でなければならないのか。
あるまじき恥もこそ」との気遣いと、文脈の上で直結するこれら2つの動作との間にはどのような関連があるのか、残念ながら益田氏論は答えてくれていません。

対する2.の説は、『湖月抄』などにも記されており、益田氏が異論を唱えるまで長らく定説となっていたようです。
こちらの説を採ると、「御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ」の解釈はすっきりしますけれど、「あるまじき恥」というほどの侮辱とは一体何をするというのだろう?とか、言い方は悪いですが放っておいてもじきに世を去り敵ではなくなる更衣に対して、わざわざその死に際にまで途方もない嫌がらせを仕掛けるだろうか?とか、また別の疑問が浮上してきてしまいます。

筆者としては正直なところ、どちらの説を採るにしても一長一短で、すっきりと納得はできていません。
まだまだ解明されていない部分も多い『源氏物語』
素人が生意気なことを言うようですが、今後の研究の進展に期待したいところです。

この場面に関する「源氏物語を味わう」でのレスのやり取りは、「桐壺」巻の読みのページからご覧いただけます。
(第一章第四段の最初の部分です)

【追記】
掲示板での議論が収束した後、吉海直人氏が著書『源氏物語の視角 : 桐壺巻新解』(翰林書房 1992年)の中で「死期の迫った桐壺の更衣には、皇子と一緒に体裁を整えて退出する余裕などなかった」との解釈を発表していることをご教示いただきました。
それなら確かに納得がいくと思うのですが、発表後13年経った現在も解釈が分かれたままということは、吉海氏説にも何か問題があるのでしょうか?
もう少し追究してみたいと思います。

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