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2005年8月 1日 (月)

琴(きん)

001koto(写真は風俗博物館2001年展示「春の遊び 蹴鞠」より、平安時代の代表的な絃楽器4種。左から2つ目が琴です)
中国伝来の長胴チター属撥絃楽器。七絃。「琴の琴(きんのこと)」とも言います。
桐を刳り抜き梓の底板を張って中空の胴をつくり、絹の弦を張り渡します。
表面は漆塗りで、大きさは時代によって異なりますが、平安貴族が用いていたのは唐代の遺品(全長117cmほど)と同程度と思われます。
頭部が尾部よりも幅広で、首と腰の辺りの輪郭線にそれぞれ対称形の凹みがあります。
各部の名称は、古来活力と長寿の象徴とされる竜と鳳凰をかたどって付けられています。

琴柱がないのが特徴で、胴の表面に付けられた13個の徽(勘所)を目印として左手で絃を押さえ、右手で弾きます。
演奏時は頭部を右に置き、中国では台の上に乗せますが、平安貴族は膝に乗せて弾いたようです。
中国においては君子の楽器とされ、日本でもその位置付けを引き継いで重視されました。
村上天皇の女御となった藤原芳子が娘時代、父・師尹から「手習と琴の琴と古今集をよく学ぶように」と教えられた…と『枕草子』第20段「清涼殿の丑寅の隅の」が伝えるエピソードは有名なところです。
しかし、琴は非常に複雑できっちりと型の出来上がった奏法をもつ楽器で、その習得の難しさから平安中期以降は次第に廃れていきました。
(現代日本に伝わる琴は、江戸時代になって明からの帰化僧が再興したもの)
演奏は呂旋(中国の正楽の音階。西洋音楽の長調に近い)を演奏の基本とし、律旋(中国の俗楽の音階。西洋音楽の短調に近い)の曲を演奏するにはより高度な技術を要したようです。

『うつほ物語』は、清原俊蔭から俊蔭女、藤原仲忠、いぬ宮と四代に渡る琴の奏法伝授が長編物語の骨格となっており、彼らの卓越した琴の演奏は、人々の感動だけでなく超常現象まで引き起こすような特別なものとして描かれています。
こうした尋常ならざる力をもつ琴の描かれ方は、この楽器を特別視した平安貴族の認識に拠るのでしょう。

『源氏物語』では、光源氏が当代一の名手として度々称讃される他、末摘花、蛍宮、明石の君、明石の入道、女三の宮、八の宮、小野の尼君の合計8人のみが奏者として登場します(ただし明石の入道は演奏の場面なし)。
小野の尼君の存在が引っかかりはしますが、基本的には皇統の聖なる楽器として描かれています。
光源氏を皇統の楽器である琴の第一人者とするのは、帝位に就かない源氏の正統性・優位性を主張する意図からでしょうし、明石の入道・明石の君親子が琴奏者なのは、国母を出すに相応しい家系であるとの箔付けの意味があるのだと思います。
一方で、その格式と複雑な奏法ゆえに奏者が少なくなっていることも描き込まれており、若菜下巻の女楽の場面では、光源氏が琴の廃れゆく現状を嘆きつつこの楽器の貴さを語っています。
しばしば尚古思想が見られるこの物語の作者らしい描き方かと思います。
002kin近年、琴は一条朝には廃絶していたとする従来の説が見直され、紫式部も琴の音色や奏法を知っていた筈だとの主張が提出されていますが、奏者の減少はこの頃既に始まっていたのかもしれません。

上の写真は、風俗博物館2001年展示「女楽」より、琴を弾く女三の宮です。

【参考文献】
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
平野健次[ほか]監修『日本音楽大事典』平凡社 1989年
上原作和編「源氏物語音楽用語事典
利沢麻美著「源氏物語における方法としての音楽−「若菜下」巻の女楽について−」(「国語と国文学」70巻1号 1993.1)

【写真提供】
小池笑芭さん(2枚とも)

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