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2005年9月 3日 (土)

輦車の宣旨~桐壺の更衣の退出~

輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。

危篤に陥った桐壺の更衣が内裏から退出する場面、帝は「宮中を死で穢してはならない」という掟のため、最愛の人の最期を看取ることもできず、泣く泣く更衣を実家へ帰します。
その際に帝は、せめてもの誠意とばかりに、更衣に対して輦車の宣旨を下します。

輦車は「てぐるま」と読み、その名のとおり人が手で引く車です。
『石山寺縁起絵巻』には、車の前後に4人ずつが付いて8人で輦車を引く様子が描かれています。
専ら、原則的に車馬乗り入れ禁止の大内裏の中での乗用に用いられました。

輦車の宣旨は、その輦車での参内・退出を許す勅命で、輦車に乗る人の性別によって宣旨の出し方も通行できる範囲も異なりました。
ここでは女性の場合のみご説明します。

女性は身分に応じて、大内裏内のある程度のところまで牛車で行くことが許されていました。
『延喜雑式』によると、妃・夫人・内親王・命婦・三位・嬪・女御・孫王・大臣の嫡妻は宮門(内裏の外郭を為す門)の外まで、四位以下と内侍は衛門陣(宜秋門・建春門)の手前まで、と規定されていました。
そして妃以下大臣の嫡妻以上は、宮門の内側での輦車の使用が認められました。
これも身分によって乗用できる範囲が決まっていて、妃は自分の賜った殿舎まで、夫人・内親王は温明殿か後涼殿の裏手まで、命婦・三位の女官・嬪・女御・女王・大臣の嫡妻は兵衛陣(陰明門・宣陽門)まで、となっていました。
また、輦車を使うにはその都度宣旨を賜る必要がありました。

で、桐壺の更衣の場合ですが、彼女はその死後に三位追贈の記述が出てきますので、この時点ではまだ四位ということになります。
ですから、本来ならそもそも輦車の宣旨が下る身分ではないのです。
しかも、このとき更衣はほとんど意識もないような危篤状態ですから、おそらく人に担がれて桐壺から輦車に乗ったのでしょう。
そうなると、桐壺の更衣は四位でありながら、律令制度における皇后候補の地位で皇族しかなれない妃と同等の待遇を受けたことになります。
この場面で桐壺の更衣に輦車の宣旨が下されるというのが、いかに超法規的な厚遇であったか。
当時の規定を掘り起こしてみると改めて驚かされます。
輦車の宣旨は、単に帝の寵愛を示すに留まらず、帝の更衣に対する扱いが明らかな掟破りであることを読者に意識させる一節だったのですね。

尚、輦車の宣旨についてもっと詳しくお知りになりたい方は、輦車の宣旨・牛車の宣旨として男性の場合も含めた調査結果を載せておりますので、ご参照ください。
またこの文章に対するレスのやり取りや追加報告など、全体の流れは「桐壺」巻の読みのページからご覧いただけます。

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