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2005年10月の記事

2005年10月30日 (日)

『平安時代の信仰と生活』

015lit_and_cult山中裕, 鈴木一雄編集 至文堂 1994年刊行
ISBN:4-7843-0120-8 税込2,625円

『国文学解釈と鑑賞 別冊』として1991~1992年に刊行された全3冊のシリーズ『平安時代の文学と生活』の3冊目を、書籍の体裁に改めて1994年に刊行し直したのが本書です。
(写真は全3冊の表紙。今回ご紹介の『平安時代の信仰と生活』はこの左端です)
なぜ最初にご紹介するのが第3冊なのかと言えば、「3冊中で一番よく使うのがこれだから」という至極簡単な理由に拠ります。
筆者にとっては『平安時代史事典』と並んで、風俗博物館の展示レポートを書く上で欠かせない資料です。

内容は、平安貴族の精神生活・信仰生活と日常の実生活に関わる諸相を幅広く取り扱っています。
目次は以下のとおりです(著者敬称略)。

平安時代の仏教(大隅和雄)
平安時代の神社(森田悌)
御霊信仰(五味文彦)
陰陽道(村山修一)
平安貴族の邸宅(倉田実)
平安貴族の乗り物(倉田実)
調度(荒木孝子)
食事(伊藤博)
平安時代の病気と医学(新藤協三)
平安時代の容儀・服飾(石埜敬子・加藤静子・中嶋朋恵)
社交・遊戯と文学(鈴木一雄・平田喜信)

“信仰と生活”と銘打って1冊の本に仕立てただけあって、ひとつひとつの項目がとても詳細で、史料の紹介も豊富です。
例えば最初の「平安時代の仏教」なら、実に25ページを費やして、平安京周辺の寺院の成立や僧侶を統制する国家制度などの政治面、地獄と極楽、末法思想などの思想面、法会、加持祈祷、参詣・参籠などの生活面と、多角的に解説を加えています。
また御霊信仰や食生活など、『源氏物語』だけ見ているとあまり意識に上ってこない、けれども当時の生活の中では相当のウェイトを占めていた筈のテーマも網羅されています。

4ページのカラー図版を含め、随所に絵巻や当時を偲ぶ遺品などの図版が織り込まれていて、尚且つ個々の図版の出典がきちんと明記されているのも嬉しい点。
引用文献や参考資料から芋づる式に調査を進める筆者のような人間としては、依拠する資料や掲載図の出典がはっきりしていて読者もそれを追跡できる、ナビゲーションのしっかりした本はとても重宝します。
特に図版の出典は、貴重な資料の筈なのに意外と曖昧な書き方しかされていない本が多いので、絵巻からほんの一部を切り出したカットにも作品名と所蔵美術館名を見出しに付ける丁寧さはありがたい限りです。

「『源氏物語』を読む上で躓かない程度、必要最小限の知識があればいい」とお考えの方には、少々詳しすぎるかもしれませんが、平安時代の文化や生活習慣そのものにもご興味をお持ちの方にはお薦めです。
幸い刊行から10年以上経っても絶版にならず、現在も入手することができます。

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2005年10月21日 (金)

篳篥

014hichiriki(写真は、2004年風俗博物館出張展示「一条帝による土御門邸行幸」より、篳篥を構える唐楽の楽人)
中国伝来のダブル・リードの縦型管楽器。
伝来当初は唐楽専用だったのが、平安朝に入って高麗楽や神楽でも用いられるようになりました。

竹製で全長約18cm、本の方がやや太く、表に7つと裏に2つ、先端がやや尖った楕円形の指孔があります。
指孔の部分を除いて樺皮の紐を巻き、表面・内部とも漆を塗ります。
リードは葦の茎でつくり、「葦舌(ろぜつ)」と呼ばれます。
ダブル・リードといっても、2枚の薄片を合わせる西洋式のものとは異なり、銜える部分を熱して平らに押し潰すことで成形します。
息の吹き込み具合や葦舌の銜え方によって、同じ指遣いでも異なる高さの音を出すことが可能で、指遣いを変えずに滑らかに旋律進行する「塩梅(えんばい)」という技法が多用されます。
音域は1オクターブ強と狭いのですが、音量が豊かで旋律が自在であることから、雅楽では主旋律を演奏します。
「地に在る人の声」を表すと言われる独特の音色も、大きな特色です。

幅広い音楽で用いられた篳篥ですが、奈良〜平安時代は専ら地下の楽人が担当し、上流貴族が演奏することはありませんでした。
鳴らすのに強い息が必要で頬が膨らむため、高貴な人は吹くのを嫌ったとも言います。
かの有名な螺鈿紫檀五弦琵琶をはじめ様々な楽器が揃う正倉院宝物の中に篳篥がないのも、そうした楽器の位置付け故と言われます。
『源氏物語』では、若紫巻で北山に源氏を迎えに来た頭中将に従う随身が演奏する場面が1例あるのみです。
『枕草子』でも
篳篥は、いとかしましく、秋の虫を言はば、轡虫などのここちして、うたてけ近く聞かまほしからず」(第207段「笛は」)
と否定的な評価がされていますが、石清水臨時祭での御前の儀で歌笛に続いて吹き立てられる篳篥は、
ただいみじう、うるはし髪持たらむ人も、皆立ちあがりぬべきここちすれ」(第207段「笛は」)
と絶賛されています。
舞人達の登場を待ちわびる中、力強く鳴り渡る篳篥の音は、祭への期待を最高潮に掻き立てるファンファーレのように聞えたのでしょうか。

尚、平安中期までは「大篳篥」「小篳篥」の2種類があり、単に「篳篥」と言うときは小篳篥の方を指しました。
大篳篥は全長約24cmほどだったかとも推測されていますが未詳で、10世紀の雅楽家・源博雅を最後の奏者として廃絶、一条朝では最早演奏されることはなかったと伝えられます。
『源氏物語』では、左大臣邸での朱雀院行幸に備えた楽の練習の様子を描く末摘花巻の一場面にその名前が見え、桐壺帝の御世が醍醐朝を時代設定としていることを示しています。

【参考文献】
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
東儀信太郎[ほか]執筆『雅楽事典』音楽之友社 1989年
平野健次[ほか]監修『日本音楽大事典』平凡社 1989年

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2005年10月15日 (土)

読書始と桐壺帝

七つになりたまへば、読書始めなどせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。

六歳で祖母君と死別した第二皇子(=光源氏)は父・桐壺帝の許に引き取られ、翌年内裏で読書始の儀に臨み、帝が畏怖するほどの才能を見せます。

読書始とは、天皇・皇太子・親王など皇族男子が初めて漢籍を読む儀式で、この儀式を経た後に漢学の勉強を始めます。
当時の貴族男性の学問の中心は漢学ですから、大人になるための勉学入門の儀式といえます。
現代の感覚でいくと、小学校の入学式のようなものでしょうか。

『西宮記』や『江家次第』などの儀式書の記述、また『小右記』に記録される実例などから儀式の様子を簡単にまとめてみます。

会場は通常、天皇の場合は清涼殿、東宮は東宮御所、親王は母君の殿舎を当てたようです。
会場の室礼は、廂の間に主役の子供の座を設けて文机を立て、孫廂には漢学を教授する博士とその補佐役の尚復、列席者の皇族や公卿達の席を設けます。
母屋と廂の間の御簾を下ろし、母屋は使いません。
儀式自体は極めて簡単。
一同が着座したところで博士が漢籍の冒頭をわずか数文字読み上げ、それを尚復が復唱するだけです(本人が読む場合もありましたが、読まない方が普通でした)。
儀式の後には饗宴があり、博士や列席者に禄が授けられます。
東宮や親王の読書始の際には、天皇は臨席しなかったようです。

儀式次第を調べてみて、意外だったことが2つあります。
1つは、読書始の儀は「世に知らず聡う賢く」も何もないくらいあっさりしたものだということ。
もう1つは、儀式に天皇が臨席しないということ。
冒頭に挙げた原文だけ読むと、儀式の際に皇子の秀才ぶりが明らかになり、またその場に桐壺帝も立ち会ったような印象を受けるのですが、そうではなかったんだ!というのが驚きでした。

ところが、「やっぱり桐壺帝は読書始の儀に立ち会ったのかも」と思い返す事例もありました。
『小右記』寛弘二[1005]年十一月十四日条、敦康親王読書始の記事です。
敦康親王の読書始は、前日の十三日に親王の母代である彰子中宮の御座所・飛香舎で行われたのですが、その儀に際して
密々主上渡御件舎」(密々主上件の舎に渡御す)
講詩間主上密排御屏風、於其御簾前以言講詩云々」(講詩の間主上密かに御屏風を排し、其の御簾の前に於ひて言を以って詩を講ずと云々)
とあるのです。
一条天皇は愛する息子の成長儀礼をこの目で見るために、母屋で御簾と屏風の陰に隠れて非公式に立ち会った訳です。
そういうこともありだったのなら、桐壺帝も皇子の読書始に密かに立ち会ったのではないでしょうか?
しかも会場は、桐壺の更衣との思い出が沢山詰まった淑景舎でしょうから、息子の成長を喜ぶ気持ちと一緒に喜んでくれる更衣の不在を悲しむ気持ちと、悲喜こもごもで母屋の御簾の奥に座っていたのではないか…などと想像を膨らませてしまいます。

あくまで第二皇子の成長と美質を語る記述ではありますけれど、その先に父帝の愛情深い眼差しを読み取ることも許してくれそうな、そんな一文だと思います。

※読書始の儀に関するレスのやり取りは、「桐壺」巻の読みのページからご覧いただけます。
 (第三章第二段「読書始の儀」の列の各発言です)

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2005年10月10日 (月)

原資料を読む大切さ

口幅ったい内容ではありますが、今日の記事は、特に学生さんやこれから第一線で活躍しようという若い研究者の方に読んでいただきたい話です。

筆者が2004年風俗博物館展示「玉鬘主催の光源氏四十の賀」の関連レポート「供若菜」の準備をしていたとき、集めた資料のいくつもに
『宇津保物語』蔵開巻に「若菜など調じて御子の日に参らせんと」と載っている
との記述がされていました。
ところが、いざ蔵開巻を読んでみると、これがさっぱり見当たりません。
見落としたかと思って語彙索引で「若菜」を引き、挙がっている箇所を片っ端から確認していったところ、なんと全然違う嵯峨院巻に該当の文が載っていました。
伝本によって内容が異なる可能性も考えて4種類の本文(小学館新編全集・岩波旧大系・朝日古典全書・有朋堂文庫)を比べてみましたが、校訂者の方針で嵯峨院・菊の宴両巻の重複部分を菊の宴巻に統合した岩波旧大系以外は嵯峨院巻に載っていて、少なくとも蔵開巻ではないことは確認できました。
複数の資料で巻の間違い方も引いている文も全く同じ、という点から見て、それらの記述は『うつほ物語』原文に当たることなく同一の資料から孫引きしたものだろうと推測されました。
(実は調べていた当時、中世か近世の文献に同じ引用がされているのを見た覚えがあるのですが、書名を忘れてしまって今回は確認が取れませんでした)

忙しいから。手間がかかるから。
つい孫引きで済ませてしまいたくなるのはわかります。
でもその結果、何度も同じ間違いが繰り返し読者に提供されてしまうのだとしたら、やはり原資料の確認は、惜しんではいけない手間だろうと思います。
少なくとも、「○○という文献に××と書いてある」と書くときに、著者自身が○○という文献を読んでいないのは不誠実ではないかと思うのです。
それに、引用されている部分が、常に自分の調査テーマに最も密着した箇所とは限りません。
『うつほ物語』引用文の例でも、その前後を読むことで、これが六十の賀の準備を語った場面であること、正月乙子の日の若菜調進の算賀が詳細に描かれていることなどがわかり、レポートをまとめる上で非常に役に立ちました。
もしかしたら、引用文の前後にもっと重要なことが書かれているかもしれない――資料集めにはそんな貪欲さがあってもよいのではないでしょうか。

研究成果を求められる訳でもなければ〆切に追われる訳でもない、「調べ物は趣味」と言い切れる気楽さゆえの理想論かもしれませんが。
原資料と引用文との隙間から零れ落ちてしまうものは、現実として確かに存在するのです。

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2005年10月 5日 (水)

013_2sho(写真は、風俗博物館実物大展示室に備え付けられている笙)
中国伝来のフリー・リードの気鳴楽器。
唐楽や催馬楽で使用されます。
鳳凰が翼を収めた姿に見立てて「鳳笙」とも呼び、平安文学では多く「笙の笛」と書かれます。

構造は、吸口のついた頭の円周上に長さの異なる17本の竹管を立て、帯金具で締めて固定します。
それぞれの竹管には、下端近くに指孔、上部に「屏上(びょうじょう)」と呼ばれる共鳴孔が空いていて、また17本のうちの15本は「簧(こう)」と呼ばれる銅と錫の合金製のリードを持ちます。
吹口からの吸い込み・吹き込みの両方で簧を振動させ、指孔を塞ぐことでその振動が竹管内で共鳴して音が鳴ります。
通常は「合竹(あいたけ)」と呼ぶ五六音の和音を奏でます。
息を吸うことでも音が鳴ることと、和音を奏でられることがこの楽器の大きな特徴です。
安定したピッチを保って響く和音は、よく「天から射し込む光を表現したもの」と解説されます。
全体の寸法に厳格な規定はなく、江戸時代の雅楽書『楽家録』巻十には、日本の笙には大小の定めがなく、大は一尺五寸(約45.4cm)、小は一尺二寸(約36.3cm)と記されていて、楽器毎にかなり幅がありました。
現行では47cm程度のものが多いようです。

『源氏物語』では「」「笙の笛」を合わせて5例あり、若紫巻の1例を除いて幼い男の子が奏者として登場します。
賢木巻では、二条院での仲間内の打ち解けた管弦の遊びで頭中将の次男(八・九歳)が。
若菜下巻では、女楽の席で玉鬘の長男(十一歳)が。
宿木巻では、藤壺での藤花の宴で夕霧の七男(年齢不明。原文に「」とあり)が。
いずれの例も、「うつくし」とその可愛らしさが賞讃されています。
清少納言は
吹く顔やいかにぞ」(『枕草子』第207段「笛は」)
と笙を吹く見た目に難をつけていますが、管楽器の中では大振りな笙を小さな子供が一生懸命に吹く様子は、紫式部の目に好ましく映っていたようです。

013sho

『枕草子』でも笙は3例しか登場せず、演奏が記されるのは第77段「御仏名のまたの日」の1例のみ、竜笛・筝・琵琶との合奏が記されています。
『源氏物語』でも5例すべてが琴笛との合奏であることを考えると、竜笛と違って独奏の機会がないことが登場回数を少なくしている原因かもしれません。
ただし、催馬楽はこの時代とても流行し、『源氏物語』の中でも演奏する場面が非常に多いので、文中にはっきり記されることこそありませんが、笙が演奏される機会そのものは多かったのではないかと思います。

『枕草子』第89段「無名といふ琵琶の御琴を」には、「いなかへじ」という変わった銘をもつ御物の笙があったことも記されています。

上の写真は、風俗博物館2004年出張展示「一条帝による土御門邸行幸」より、笙を吹く唐楽の楽人です。

【参考文献】
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
東儀信太郎[ほか]執筆『雅楽事典』音楽之友社 1989年
平野健次[ほか]監修『日本音楽大事典』平凡社 1989年
安倍季尚撰;正宗敦夫編纂校訂『楽家録』(覆刻日本古典全集)現代思潮社 1977年

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