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2005年10月15日 (土)

読書始と桐壺帝

七つになりたまへば、読書始めなどせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。

六歳で祖母君と死別した第二皇子(=光源氏)は父・桐壺帝の許に引き取られ、翌年内裏で読書始の儀に臨み、帝が畏怖するほどの才能を見せます。

読書始とは、天皇・皇太子・親王など皇族男子が初めて漢籍を読む儀式で、この儀式を経た後に漢学の勉強を始めます。
当時の貴族男性の学問の中心は漢学ですから、大人になるための勉学入門の儀式といえます。
現代の感覚でいくと、小学校の入学式のようなものでしょうか。

『西宮記』や『江家次第』などの儀式書の記述、また『小右記』に記録される実例などから儀式の様子を簡単にまとめてみます。

会場は通常、天皇の場合は清涼殿、東宮は東宮御所、親王は母君の殿舎を当てたようです。
会場の室礼は、廂の間に主役の子供の座を設けて文机を立て、孫廂には漢学を教授する博士とその補佐役の尚復、列席者の皇族や公卿達の席を設けます。
母屋と廂の間の御簾を下ろし、母屋は使いません。
儀式自体は極めて簡単。
一同が着座したところで博士が漢籍の冒頭をわずか数文字読み上げ、それを尚復が復唱するだけです(本人が読む場合もありましたが、読まない方が普通でした)。
儀式の後には饗宴があり、博士や列席者に禄が授けられます。
東宮や親王の読書始の際には、天皇は臨席しなかったようです。

儀式次第を調べてみて、意外だったことが2つあります。
1つは、読書始の儀は「世に知らず聡う賢く」も何もないくらいあっさりしたものだということ。
もう1つは、儀式に天皇が臨席しないということ。
冒頭に挙げた原文だけ読むと、儀式の際に皇子の秀才ぶりが明らかになり、またその場に桐壺帝も立ち会ったような印象を受けるのですが、そうではなかったんだ!というのが驚きでした。

ところが、「やっぱり桐壺帝は読書始の儀に立ち会ったのかも」と思い返す事例もありました。
『小右記』寛弘二[1005]年十一月十四日条、敦康親王読書始の記事です。
敦康親王の読書始は、前日の十三日に親王の母代である彰子中宮の御座所・飛香舎で行われたのですが、その儀に際して
密々主上渡御件舎」(密々主上件の舎に渡御す)
講詩間主上密排御屏風、於其御簾前以言講詩云々」(講詩の間主上密かに御屏風を排し、其の御簾の前に於ひて言を以って詩を講ずと云々)
とあるのです。
一条天皇は愛する息子の成長儀礼をこの目で見るために、母屋で御簾と屏風の陰に隠れて非公式に立ち会った訳です。
そういうこともありだったのなら、桐壺帝も皇子の読書始に密かに立ち会ったのではないでしょうか?
しかも会場は、桐壺の更衣との思い出が沢山詰まった淑景舎でしょうから、息子の成長を喜ぶ気持ちと一緒に喜んでくれる更衣の不在を悲しむ気持ちと、悲喜こもごもで母屋の御簾の奥に座っていたのではないか…などと想像を膨らませてしまいます。

あくまで第二皇子の成長と美質を語る記述ではありますけれど、その先に父帝の愛情深い眼差しを読み取ることも許してくれそうな、そんな一文だと思います。

※読書始の儀に関するレスのやり取りは、「桐壺」巻の読みのページからご覧いただけます。
 (第三章第二段「読書始の儀」の列の各発言です)

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