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2005年11月 6日 (日)

「宮」と呼ばれる光源氏

帝、かしこき御心に、倭相を仰せて、思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、「相人はまことにかしこかりけり」と思して、「無品の親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ。わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめること」と思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。

高麗の相人の予言を聞いた帝は、第二皇子(=光源氏)を臣籍降下させようと決意します。
「光源氏」の誕生です。

この場面で初めて、第二皇子がこれまで親王宣下を受けていなかったことが明らかになります。
『源氏物語』という題名のとおり、主人公は臣籍降下して源氏になるのですから、親王宣下を受けていないのは当然といえば当然ですが、この場面に至るまでに5回にも渡って「」「若宮」と呼ばれてきたことを考えると、少々意外な感じを受けます。
この点について、吉海直人氏は『源氏物語の視界―桐壺巻新解―』の中で

源氏が誕生後「みこ」とか「みや」と呼ばれていること、あるいは皇位継承問題が浮上していることから、なんとなく源氏は既に親王の資格を得ているような錯覚を抱かされていた。そして親王から臣籍に降下されるように誤読していた。ひょっとするとそこが作者の狙いかもしれない。しかし「みこ」や「みや」は必ずしも親王ではなかったのだ。

と述べています。

では、親王・内親王宣下を受けていない皇子女が「宮」と呼ばれるのは、物語が書かれた当時は自然なことだったのでしょうか?
それとも、当時の読者も「宮」と言われれば普通は親王・内親王をイメージするものだったのでしょうか?
『源氏物語』とその周辺の作品について調べてみました。

まず『源氏物語』の中では、親王の子供が5人ほど、一時的に「宮」と呼ばれる例がありますが、その他は皇后・皇太后などの「后の宮」と親王・内親王ばかりです。
『枕草子』『伊勢物語』『落窪物語』『大鏡』などの諸作品でも、「宮」と呼ばれる皇子女は、軒並み親王・内親王でした。
微妙な例としては、『栄花物語』巻第二「花山たづぬる中納言」で、醍醐天皇第十六皇子で臣籍降下した源兼明を
延喜の帝の御十六の宮
と記している箇所があるのですが、源兼明は藤原兼通の策略で皇族に戻されて親王となった人物なので、最終的な身分が呼称に反映されている可能性も考えられます。
(この辺の調査結果は、源氏物語を味わう【掲示板】の発言No306をご参照ください)

他方、親王宣下を受けなかった皇子で「宮」と呼ばれた人物も、歴史上には存在します。
例えば、後白河天皇第二皇子・以仁王。
幼くして寺に入れられたものの出家せず、密かに元服したと伝えられる以仁王は、三条高倉の邸に住み、「高倉宮」と呼ばれました(『源平盛衰記』巻十三)
また、『紫式部日記』では敦成親王のことを誕生直後から「」と記しており、親王宣下を受けて初めて「」と呼ばれるようになる訳ではないことが窺われます。

更に調べていくと、『源氏物語』の時代設定となる醍醐・村上朝から実際に執筆された一条朝辺りで、親王・内親王宣下も臣籍降下もなされなかった皇子女はほとんど存在しない(少なくとも歴史上に名前が残っていない)らしいことがわかってきました。
しかも、親王・内親王宣下あるいは臣籍降下がなされる年齢は一~七歳頃が中心で、特に一条朝の皇子女達は、いずれも生後間もなく親王・内親王宣下を受けています。

これらの事情を考え合わせると、親王宣下を受けていない皇子を「宮」と呼ぶこと自体はおかしなことではないものの、当時そのような例はかなり稀少で、一般に「宮」と呼ばれる人物は親王であるように認識されていたのではないでしょうか。
第二皇子を「」「若宮」と呼び、読者に皇位継承の可能性をもつ親王であるかのような印象を与え、立坊の可能性さえ示唆しつつ、ここで臣籍降下という決断を描いて帝位から遠ざける。
この後、光源氏はただの一度も「」とは呼ばれません。
帝位に迫り、臣下では終わらないとの予言を背負う皇子が、親王でさえなく源氏となって、どのようにあの予言を実現するのかと、読者の興味は掻き立てられたことでしょう。
そうした読者の意外の念を強めるものとして、読者の先入観を利用した「宮」という呼称が機能しているのではないかと思います。

※「宮」という呼称に関するレスのやり取りは、「桐壺」巻の読みのページからご覧いただけます。
 (第三章第三段「「宮」という呼称について」の列の各発言です)

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典』(角川書店 1994年)
『日本人名大事典』復刻版(平凡社 1979年)
吉海直人著『源氏物語の視覚 : 桐壺巻新解』(翰林書房 1992年)
フリー百科事典ウィキペディア

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