« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月の記事

2006年2月21日 (火)

御簾

029misu母屋と廂、廂と簀子、それぞれの境目の柱の間や、妻戸口の上長押から掛け下げる屏障具。
現代の感覚でいくとカーテンかブラインドのような調度です。
現代の簾と同じく、細く削った竹を緯として糸で編み連ねたものですが、平安時代の御簾は通常、萌黄地に窠文を黒く染めた平絹で縁取りを施し、上長押に沿って「帽額(もかう)」と呼ばれる幕を引きます。
帽額も様式が決まっていて、窠に臥蝶の文様を染め付けた萌黄色の平絹でした。

住居には欠かせない調度なので、『源氏物語』をはじめとする仮名作品は勿論のこと、儀式書などにも頻繁に登場します。
中でも一番有名なのは、唐猫が御簾を引き開けて柏木が女三の宮の姿を垣間見てしまう『源氏物語』若菜上巻末の場面と、清少納言が定子中宮に「香炉峰の雪、いかならむ」と問いかけられて御簾を高く巻き上げてみせた『枕草子』第二八四段のエピソードでしょう。
上の写真も、風俗博物館で2005年下半期に『枕草子』のこの段が展示された際のものです。

外から屋内が見通されないように、御簾はいつも下ろしておくのが普通ですが、廂の御簾が下ろしてあるときは母屋の御簾は巻き上げておくこともあったようで、例えば国宝『源氏物語絵巻』柏木(三)では、廂の御簾だけ下ろして母屋の御簾は巻き上げられている様子が描かれています。
御簾を上げる際には、「鉤丸緒(こまるお)」と呼ぶ房飾りを垂らした半月形の金具「鉤(こ)」で留めたと言われますが、国宝『源氏物語絵巻』を見ると鉤が描かれているかは判然とせず、『源氏物語』の時代から鉤が用いられていたのかどうかには疑問の余地もあります。
(鉤については「国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(3)御簾の鉤」でも触れていますので、よろしければご参照ください)

御簾越しに見える内側にいる人の影を「透影」と言い、仄見える女房や女童などの影から、中に住まう女主人の趣味や人となりを推測したりする描写もあります。
女性が男性と対面するときは、この透影に配慮して御簾に几帳を添えて隔てとしました。
因みに、上に挙げた『源氏物語』若菜上巻の場面の後、放心状態の柏木を夕霧が懸念して
あやしかりつる御簾の透影思ひ出づることやあらむ
と思う一節がありますが、女三の宮はまともに姿を見せてしまっていますので、「透影」と言い成しているのは夕霧なりの遠慮と言えそうです。

尚、簾の中には「伊予簾」と呼ばれるものがありました。

伊予簾かけ渡して、鈍色の几帳の衣更へしたる透影、涼しげに見えて、(『源氏物語』柏木巻)
伊予簾はさらさらと鳴るもつつまし。(『源氏物語』浮舟巻)
伊予簾など掛けたるに、うちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。帽額の簾は、まして、こはしのうち置かるる音、いとしるし。(『枕草子』第二五段「にくきもの」)
冠得て、なにの権の守、大夫などいふ人の、板屋などの狭き家持たりて、(中略)牛つなぎて草など飼はするこそ、いとにくけれ。庭いときよげに掃き、紫革して伊予簾かけわたし、布障子張らせて住まひたる、(『枕草子』第一七二段「六位の蔵人などは」)

これらの記述からは、喪中の折や下級貴族の家で用いた質素な簾で、帽額を引かず、音の描写からして縁取りもなかったらしいことがわかります。
絵画資料としては、国宝『源氏物語絵巻』橋姫・東屋(二)に描かれている簾が伊予簾でしょう。
用例は少ないですが、簾ひとつにも身分とTPOに応じた使い分けがあったことを教えてくれる調度です。

【参考文献】
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の儀礼と歳事』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
五島邦治監修;風俗博物館編集『源氏物語 六條院の生活』改訂版 青幻舎 1999年

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年2月 5日 (日)

国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(3)御簾の鉤

※この記事はシリーズで書いています。
 「国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(1)美麗几帳
 「国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(2)尼君
 を未読の方は、そちらから先にお読みいただければ幸いです。

事典や便覧の類で「御簾」の項を開くと、大概
御簾には、巻き上げたときに掛け留める「鉤(こ)」と呼ばれる半円形の金具が付いていて、これに「鉤丸緒(こまるお)」と呼ぶ房飾りを垂らす
と解説されています。
この説明は、平安後期に成立した『類聚雑要抄』の指図などに拠るものだそうですが、『類聚雑要抄』と概ね同時期の成立と思われる国宝『源氏物語絵巻』には鉤が描かれていないと言われていました。
これに基づき風俗博物館では、『源氏物語』が書かれた11世紀初頭には鉤を使って御簾を留めることはしておらず、絵巻作成当時はまだそのことが認識されていたために絵巻に描かれなかったのだろうと推測し、鉤を使わず紐で結ぶ形で模型を作製しています。

ですが、復元された模写を見ると、柏木(二)では巻き上げられた御簾の所々にはっきりと鉤が描かれています。
そう思って改めて原画を見てみますと、よくよく見れば御簾の弧に沿って黒ずんだ曲線が描かれているように思えます。
一方で、同じように巻き上げられた御簾が描かれている横笛や橋姫、宿木(三)、東屋(一)などでは、目を皿のようにして凝視しても鉤が描かれている形跡はなく、復元模写にも描かれてはいません。
また、東屋(二)では、簡素な簾が白い紐(?)で結び留められているように見えます。

どの図にも鉤丸緒がないのは一目瞭然です。
けれども鉤は、あったのかなかったのか、剥落と褪色が進んだ原画からはよくわかりません。
また、原画にあったとしても、それが作成当初から描かれていたものか後補(後世の補修で描き加えられたもの)なのかという問題もあります。
(顔料の色や質、筆遣いなどから、はっきり後補とわかる箇所も少なからずあるのだそうですが、それがどういう形で復元模写に反映されているのかは、筆者にはわかりません)
下ろした御簾を描いた御法や竹河(二)の画面からは、御簾の内側の帽額(もこう)に赤い紐が取り付けられているのが見て取れ、風俗博物館の模型がそうなっているようにこの紐で結び留めたか、とも考えられますが、その割には巻き上げられた御簾に赤い紐が掛かっている様子が描かれていないのは引っかかります。
上記のとおり、図によって鉤のようなものが描かれていたり描かれていなかったりするのも不可解なところです。

果たして『源氏物語』が書かれた平安中期、人々は巻き上げた御簾をどうやって留めていたのでしょうか。
国宝『源氏物語絵巻』の美術的・文学的鑑賞とはおよそ関係のないことですが、平安時代の住生活の重要な要素だった筈の御簾の上げ方は、この時代の風俗に興味を持つ筆者にとって気になって仕方がない点です。
当時のごく日常的な生活習慣ほど、1000年後の今となっては謎に包まれています。

《追記》
風俗博物館の御簾の模型のつくり方については、記事掲載時点では風俗博物館ホームページに井筒與兵衛館長が書かれた「御簾について」という文章が掲載されていて、この記事からもリンクを張っていたのですが、2006年6月のリニューアルの際に削除されてしまったようなのでリンクを解除しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »