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2006年3月の記事

2006年3月26日 (日)

光源氏の元服と贈答歌

さぶらひにまかでたまひて、人びと大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。
御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄の物、主上の命婦取りて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。
御盃のついでに、
 「いときなき初元結ひに長き世を
  契る心は結びこめつや」
御心ばへありて、おどろかさせたまふ。
 「結びつる心も深き元結ひに
  濃き紫の色し褪せずは」
と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。

十二歳になった光源氏は、桐壺帝が見守る中、清涼殿東廂で元服の儀式に臨みます。
平安時代の元服は、それまで無帽・角髪(みずら)だった髪を髷に結い替えて冠を被る儀式で、成人男子の象徴である冠を被せる役を果たす人は「加冠」または「引入」(髷を冠に引き入れることから)と呼ばれて最も重要視されました。
光源氏の元服にあたり、引入を務めたのは左大臣。
彼は光源氏を元服と同時に正妻腹の一人娘(葵の上)の婿に迎え、以後は舅として光源氏の後ろ楯となります。

恙なく儀式が済んだ後、侍(=清涼殿南端の下侍)で祝宴が催され、左大臣は桐壺帝から引入の役を労う禄を賜り、贈答歌を詠み交わします。

ところが、当時の儀式書を調べてみて、物語の語る順序が実際の儀式次第と異なっていることに気づきました。
『西宮記』や『新儀式』、『奥入』所引の「延長七年二月十六日当代源氏二人元服」の記事などでは、いずれも
“加冠⇒引入への給禄⇒酒宴”
という順序になっているのです。
桐壺巻の書き方ですと、侍での祝宴の途中で、侍とは別の場所にいる帝に呼ばれて左大臣が中座したように読めますが、実はそうではなく、一旦祝宴の様子を語ってから左大臣への給禄に話を巻き戻しているのでした。
まず出来事の大枠を語ってから時間を遡って枠内のある一時に焦点を当てる手法は、ここ以外にも、桐壺の更衣の退出の場面や桐壺の更衣への三位追贈の場面など、物語の重要なポイントとなる場面で用いられています。

では、この場面で焦点を当てて描きたかったものは何なのか。
それは、桐壺帝と左大臣の贈答歌だったのではないかと思います。

光源氏と葵の上との結婚は、2人の父親同士の意図に拠るものでした。
外戚のいない光源氏の後ろ楯となる有力な人物を望んだ桐壺帝と、光源氏の存在に家運を賭けた左大臣。
また、物語にはっきりとは描かれませんが、東宮の外祖父である右大臣の勢力を抑えたい両者の思惑が一致した側面もあるでしょう。
父親達は、子供同士の結婚によって結ばれた縁戚関係の永続を願う気持ちをかっちりと噛み合った贈答歌で確認し合います。
ですが、この元服に続く結婚の場面は、ほとんど何も語られず、唯一語られているのは「似げなく恥づかし」というあまり幸先のよくない女君の感想だけ。
当時は、婚儀の一環として「後朝使(きぬぎぬのつかひ)」と呼ばれる新郎新婦の文による歌の贈答があり、光源氏と葵の上も絶対に歌を詠み交わしている筈なのに、物語はそれを語りません。
男女が心を通わせ合う基本ツールだった贈答歌の不在は、間接的に2人の心が通い合っていないことを表現しているのでしょうが、その意味を強調するものとして、桐壺帝と左大臣の贈答歌が記されたのではないかと想像します。
この先、社会的には幾多の波乱を乗り越えて想像を絶する栄華を手にする一方、大勢の女性達との関わりの中で思うに任せぬ人の心に悩みもがきながら生きてゆくことになる光源氏の生涯を思うとき、ここに置かれた桐壺帝と左大臣の贈答歌の意味は、意外に重いものがあるのではないかと思うのです。

※この場面のレスのやり取りは、「桐壺」巻の読みのページからご覧いただけます。
(第三章第六段「引入への給禄」とその前後の各発言です)

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2006年3月12日 (日)

時を止める、遡る~国宝『源氏物語絵巻』の模写~

現在、五島美術館で[特別展]「よみがえる源氏物語絵巻―平成復元絵巻のすべて―」が開催されています。
昨年秋に完成した国宝『源氏物語絵巻』19図の復元模写(「平成復元模写」と名付けられたようです)がすべて展示されている他、昭和30年代に初めて絵巻の復元に挑んだ桜井清香氏の模写や、江戸時代・住吉広行筆の古模本、大正末~昭和初期に田中親美氏が制作した剥落模本、芸大が現在も続けている剥落模写など、国宝『源氏物語絵巻』の模本類が勢揃いした展覧会です。
昨年この概要を耳にしてからずっとずっと待ち望んでいた展覧会に、昨日行ってまいりました。

なんと言っても圧巻は、平成復元模写19点。
各図について、デジタル出力した原寸大の原画図版、平成復元模写、桜井清香筆模写、の順で並んでいて、左右に比較しながらじっくり見ることができました。
昨年秋に徳川美術館で展示されたときは、原画の全点展示がメインだったためか、原画と復元模写は別の部屋に置かれていたので、今回の展示方法は嬉しい限り。
そうして実感したのは、完成したばかりの平成復元模写の、眩いまでの華麗さでした。
一部は既に見ていますし、図録で全体も把握してはいましたが、改めて実物と向き合うと、1点1点の煌びやかな色彩に圧倒されます。
柏木(二)では、壁代の桜の文様がくっきりと浮かび上がって見え、NHKの番組で言われていた「死にゆく柏木を桜が取り巻いている」という構図が理屈抜きに体感できました。
蓬生の銀の効果にも驚かされました。
TVで初めてこの図の復元模写を見たときも愕然としましたが、そのときはどちらかというと「意外」という感じが強い驚きでした。
でも実物を見て、画面には描かれていないけれど『源氏物語』原文に「月さし出でたり」「艶なるほどの夕月夜」「月影」「月明くさし出でたるに」と繰り返し記される雲間から明るく差し込む月の清冽な光が、あの銀色の庭からはっきりと感じられ、感嘆する他ありませんでした。
他にも、竹河(二)の桜の花びらや御法巻の前栽の立体感、夏・秋の場面全般に見られる直衣や指貫の下の衣を透かせる木目細かな質感、髪や御簾の線の繊細さ、更には原画を忠実に再現するために鈴虫(一)の下絵段階で書き込まれて彩色の上からもうっすらと読み取れる文字、などなど…。
図録を見ただけでは気づかなかった点が次々と目に飛び込んできて、言葉もなく見入ったまま会場1周、という状態でした。
何か途轍もないものを見てしまった、という感覚を1日経った今も抱いています。

もうひとつ衝撃的だったのは、各時代の剥落模写により、原画の傷みが現在進行形であるという事実を目の前に突きつけられたことでした。
田中親美氏筆の関屋には青い霞とその中に浮かぶ朱色の紅葉が辛うじて色を留めていたり、住吉広行筆の東屋(一)には裾濃の几帳の下の方まで柄が描かれていたり。
中でも柏木(二)は、昭和18~34年に制作された川面義雄氏制作の木版摺複製と平成17年に高島圭史氏が描いた剥落模写とが隣り合って展示されていて、半世紀の間に生じた劣化を痛感しました。

原画は今後も確実に褪色を続けていくでしょう。
ならば、現状模写は作品を押し流す時を止めようとする、そして復元模写は更に時を遡ろうとする、壮大な企てなのではないでしょうか。
いつの日か、原画が何を描いたかわからないほど劣化したり、あるいは完全に消失してしまったときには、きっと今回展示された沢山の模写達が、国宝『源氏物語絵巻』の証人となり、その役割を引き継いでいくことになるのでしょう。
止まれ!と叫んでも決して止められない“時”に流され続ける作品を、画家達は自らの手で写し取ることで、掬い上げようとしている…そんなことを感じさせられた展示でもありました。

「複製しか出ない展覧会」などと侮るなかれ。非常にお薦めです。3月26日(日)まで。

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『よみがえる源氏物語絵巻 全巻復元に挑む』 NHK名古屋(晴れのち平安)

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