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2006年5月13日 (土)

牛車の乗降~女性の場合~

033koka今回の風俗博物館の展示「女三の宮六条院降嫁」を拝見した際、ちょっと驚いたのは、女三の宮の牛車が寝殿南面の階に寄せられていたことでした。
(写真は風俗博物館2006年上半期展示「女三の宮六条院降嫁」より、女三の宮を牛車から抱き降ろす光源氏)
南庭を横断して寝殿の正面まで乗り入れられるのは、帝の輿や勅使の車くらいしかイメージになかったので、「朱雀院鍾愛の内親王とはいえ、牛車でここまで乗り付けられたものなのだろうか?」と疑問に感じたのです。
概説書などには大抵“中門で車を降りる”と記されていますが、これは主に男性訪問客の場合。
では女性の場合はどうだったのか、仮名作品での牛車の乗降に関する記述を拾い集めてみました。

結論から先に申しますと、女性は女房も含め、中門ではなく居住スペースまで牛車を引き入れて乗り降りしたようです。
例をいくつか挙げてみましょう。

  • 西の対に御車寄せて下りたまふ。若君をば、いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。(『源氏物語』若紫巻)
    ⇒二条院に着いて車を降りる源氏と紫の君。降りた場所は西の対。
  • この寝殿はまだあらはにて、簾もかけず。下ろし籠めたる中の二間に立て隔てたる障子の穴より覗きたまふ。(中略)つつましげに降るるを見れば、(『源氏物語』宿木巻)
    ⇒宇治の旧八の宮邸で車を降りる浮舟。降りた場所は寝殿。
  • 西の一の対の南の端に御車寄せて(『うつほ物語』国譲上)
    ⇒内裏から里下がりして源正頼邸に戻ったあて宮。「西の一の対」があて宮の居室。
  • 西の御門より、西の対に、人々、檳榔毛に乗りたるをば、まづ下ろして、御車中門より入れて、寝殿の未申の方の高欄を放ちて下りたまふ。(『うつほ物語』楼の上下)
    ⇒京極邸を訪ねた大后の宮と、それに扈従する女房達。女房は西の対、大后の宮は寝殿西南部で下車。
  • 御車に奉りたまひければ、わが御身は乗りたまひけれど、御髪のすそは、母屋の柱のもとにぞおはしましける。(『大鏡』師尹伝)
    ⇒藤原芳子参内の際のエピソード。「母屋」のある居住スペースから直接乗車。
  • 女房車ども、みなこの西の廊に下ろさせたまふ。(『栄花物語』巻第十七「おむがく」)
    ⇒法成寺金堂落成供養に列席する太皇太后宮彰子の女房達。金堂西廊に女房の座が設けられた。
  • 御車は、南面の御階の間に寄せておはします。(『栄花物語』巻第二十八「わかみづ」)
    ⇒東宮への入内のため、枇杷殿を出発する禎子内親王の車。寝殿南面で乗車。
  • 西の対の唐廂にさし寄せてなむ乗るべき、とて、渡殿へ、ある限り行くほど、(『枕草子』第二六三段「関白殿、二月二十一日に」)
    ⇒積善寺へ向かうため二条宮から車に乗る女房達。乗車場所は西の対。

この他にも、居住スペースでの乗降と考えられる記述がいくつもあり、逆に中門での乗降と断定できる例は見当たりませんでした。
また『枕草子』第五段「大進生昌が家に」には、生昌邸に渡御する定子中宮に従った女房達の車が北門を通れず、屋外を歩く羽目になったのを「いとにくく腹立たし」と憤慨する記述があります。

女三の宮降嫁の場面に戻ると、宮の居室は寝殿の西半分、女房達の局は西一・二の対ですから、宮の牛車は南庭を横断して寝殿南面の西側に、女房や童女の車は北側を通って西の対に、それぞれ寄せられたのではないかと想像できます。
となると、六条院春の町は西や北に門を持たないので、宮一行は何十台と車を連ね豪勢に供奉の上達部らを従えて、東門から紫の上のいる東の対のすぐ脇を通って西側に入ったということになるのではないでしょうか。
そう考えると、後文に紫の上の心中に沿って語られる
はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにて移ろひたまへる
という表現が、より一層痛切に響いてくるような気がいたします。

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