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2006年5月25日 (木)

軟障(ぜじょう)

032zejo壁代の一種。「軟障」の名前の意味は“軟らかな障子”で、布製の間仕切りを指します。
通常の壁代よりも装飾的な意味合いが強い場合が多く、主に殿上の行事や饗宴などの際に用いられました。
(写真は2005年風俗博物館出張展示「六条院行幸」より、渡殿に掛けられた軟障)

『大饗雑事』(文治五[1189]年成立の有職故実書)には、軟障の詳しい規定が記されています。
それによると、大きさは縦三尺七寸(約112cm)、横六幅(約216cm)。
表地の材質は生絹で唐絵を描き、白の練絹の裏を付けて、周囲を広さ六寸八分(約20.6cm)の紫の綾で縁取りします。
縁と同じ紫の綾を一寸(約3cm)ほど折り畳んで綱を通すための小さな輪(これを「乳(ち)」と呼びます)として数十個付け、長さ一丈二尺(約3.6m)の紫の練平絹を縫い畳んで綱のようにしたものを、乳に通して御簾に沿って張り渡します。
また、『満佐須計装束抄』にも軟障に関する記述があり、内容は概ね『大饗雑事』と同じですが、
絹に高き松を本体にて四季の木どもをかきたり。(中略)これら四季の絵をかきたれば春を東にしはじめて引くべし。」(巻一「大饗の事」)
と記されており、唐絵ではなく松と四季の樹木を描いて、東側から春夏秋冬の順に掛けるよう指示しています。

掲載した写真の展示では、『満佐須計装束抄』に基づく四季の樹の軟障になっていました。
対する唐絵を描いた軟障は、『年中行事絵巻』巻五「内宴」・巻六「二宮大饗」などの中に見ることができます。

一方、『源氏物語』の中には、こうした装飾的なものとは異なる軟障も登場します。
須磨巻末で源氏が須磨の海岸で上巳の祓をする場面では、「いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして」とあり、幄舎を設けるのを省略して軟障で覆って代用したことがわかります。
蟄居中に用意できる程度のものですから、儀式用などではなくもっと簡素なものでしょう。
また玉鬘巻では、椿市で宿がかち合ってしまった玉鬘一行と右近とが「軟障などひき隔てて」部屋を分け合って泊まる記述があります。
こちらも、単なる間仕切りの幕であって、特に装飾性はないと思われます。

壁代との一番大きな違いは、巻き上げることを前提にしていないことでしょうか。
あるいはその点が、装飾的な性格を強める方向に作用したのかもしれません。
日常的な室礼には用いませんが、何事か目隠しが必要な際には、意外と便利に使われていたらしい屏障具です。

【参考文献】
『大饗雑事』(3訂版『群書類従』第27輯所収)続群書類従完成会 1960年
源雅亮著『満佐須計装束抄』(3訂版『群書類従』第8輯所収)続群書類従完成会 1960年
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の信仰と生活』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典』角川書店 1994年

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