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2006年6月 9日 (金)

折れた紫苑~東屋(二)の前栽~

国宝『源氏物語絵巻』東屋(二)は、ご存知のとおり三条の小家に身を潜めた浮舟を薫が訪ねる場面です。
復元模写では、画面の右手に大きく描かれた前栽の秋草が、ひときわ鮮やかな印象を与えています。

三田村雅子先生は、『源氏物語』原文には「慰めに見るべき前栽の花もなし」(東屋巻)と記されているにもかかわらず立派すぎるほどの前栽が描かれていること、画面全体は斜め上から見下ろした構図なのに前栽だけは正面からの視点で捉えられていることを指摘された上で、折れた枝・倒れた枝が描き込まれた紫苑に注目なさっています。
復元模写を見るとはっきりわかるのですが、前栽の右端に鋭角に折れ曲がって右斜め下方向を向いている枝が、その下に右隅からうねるように左側へと横倒しになって伸びている枝が、それぞれ描かれています。
この折れ、倒れた紫苑を、三田村先生は、亡き大君と彼女に対する薫の尽きせぬ執着の象徴と読み解いておられます。
正面からの視点が、薫が見ている前栽であることを示し、また女郎花と紫苑の組み合わせが二条院での浮舟の衣裳と一致することで浮舟を象徴しつつ、紫苑に大君が重ねられることで、全体として薫の幻視する形代としての浮舟が象徴されている、と解釈するのです。

私も、紫苑が大君の象徴であるとの解釈には賛成です。
折れ倒れても見事な花を咲かせる様子は、人生の半ばで命尽き、死して尚美しい幻影となって薫の心を捉え続ける大君と確かに重なります。
「紫苑とは当時、亡き人をしのぶ草として墓地に植えられた花であった」とのご指摘にも納得です。
ただ私には、紫苑が大君の象徴となり得る理由として、もうひとつ思い浮かぶ『源氏物語』の場面があります。

東屋(二)が描く場面の翌朝、薫は性急に浮舟を宇治へと連れ出します。
その道中、牛車からこぼれ出た2人の袖が重なり合って朝霧に濡れ、浮舟の紅の袿の袖に薫の直衣の縹が移って紫に染まります。

うち眺めて寄りゐたまへる袖の、重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、落としがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。
 「形見ぞと見るにつけては朝露の
  ところせきまで濡るる袖かな」

原文の中に大君が紫色の衣裳を着ている場面は見当たりません。
ですが、この場面を読むと、薫の中で大君は紫の色彩イメージと共に記憶されているのではないかと思えてならないのです。
その紫が、紫苑の花の紫色に重ねられているのではないでしょうか。
宇治の物語はモノクロームの世界で、殊に大君は極めて色彩に乏しい描かれ方をしています。
それだけに、この場面で紅と縹が交じり合って浮き上がる紫は印象深く、浮舟との対面を前に薫が大君を想起するに相応しい花として、共に描かれた女郎花ではなく別の草花を書き加えるのでもなく、紫苑がそのまま選ばれたのではないかと思うのです。

【参考文献】
三田村雅子著『草木のなびき、心の揺らぎ:源氏物語絵巻を読み直す』(Ferris Books 10)フェリス女学院大学 2006年

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