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2006年7月 1日 (土)

大堰(嵐山)

036oigawa 丹波山地から京都盆地を経て淀川に合流する桂川のうち、現在の京都市右京区嵐山周辺の流れを「大堰川」、またその流域一帯を「大堰」と呼びました。
現在「大堰川」と呼ばれるのはもう少し上流で、亀山から嵐山周辺は「保津川」と称していますので、平安時代とは指している流域がちょっと異なります。

『源氏物語』の中では、明石の君が上京して住んだ邸が「大堰川のわたり」(松風巻)にあった、と登場するのが一番有名な舞台設定でしょう。
この邸のもともとの持ち主は明石の尼君の祖父の「中務宮」(松風巻)と設定されており、古注はこの人物を醍醐天皇第十六皇子・兼明親王に準拠するとしています。
兼明親王は晩年、嵯峨に別荘(雄蔵山荘)を建てて隠棲しており、これが邸のモデルと目されている訳です。
雄蔵山荘の位置は、今の天龍寺または臨川寺近辺、あるいは二尊院と清涼寺の間、など諸説あるそうですが、明石の君が住んだ邸は「これは川面に」(松風巻)と明記されていますので、天龍寺か臨川寺の付近が有力候補と言えるでしょう。
とはいえ、現在の天龍寺・臨川寺近辺は土産物屋や飲食店、タレントショップなどが建ち並び、一年中観光客であふれ返っていますので、明石の君が心細さを抱えながら過ごした山里の風情を感じるのは難しいのが実情ですが。

現在は観光都市・京都の中でも屈指の観光スポットとなっているこの一帯は、平安貴族にも風光明媚な土地柄が愛され、しばしば遊覧が行われました。
少女巻では、六条院秋の町の庭の美しさが
嵯峨の大堰のわたりの野山、無徳にけおされたる秋なり。
と讃えられており、1000年前からこの地が紅葉の名所だったことがわかります。
因みに、毎年5月第3日曜日に行われる車折神社の「三船祭」は、昌泰元[898]年の宇多法皇大堰御幸が始発と伝わる大堰川の舟遊びを再現したお祭りです。

写真は、残念ながら紅葉の頃のものではありませんが、2004年8月に渡月橋の東側から撮影した保津川(=大堰川)と対岸の嵐山・烏ヶ岳です。

【Data(渡月橋)】
住所:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺
交通:市バス嵐山・中ノ島公園下車すぐ 阪急嵐山線嵐山駅・京福電鉄嵐山駅下車徒歩5分

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典』角川書店 1994年
阿部秋生[ほか]校注・訳『源氏物語 2』(『新編日本古典文学全集』第21巻)小学館 1995年

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