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2006年7月21日 (金)

大覚寺

039daikakuji 嵯峨野の地は、嵯峨天皇の離宮で退位後は上皇御所になった嵯峨院を中心に、貴族の別荘地として平安初期から発展しました。
その嵯峨院の一部を今に受け継ぎ、平安の景勝地の面影を色濃く残しているのが、大覚寺とその境内の東に位置する大沢池です。

嵯峨天皇は、その東宮時代から嵯峨野に別荘を営んでおり、それが整備されて嵯峨院になったと推測されています。
広大な敷地を持ち詩宴などが度々催された嵯峨院は、嵯峨上皇崩御の後に皇女・正子内親王(淳和天皇皇后)により寺院に改められ、大覚寺と号しました。
現在の大覚寺は、嵯峨院の敷地のうちの東北部と考えられています。
また大沢池は、嵯峨院の東端付近につくられた人工の庭池で、現存最古の寝殿造系庭園の作例です。

『源氏物語』の中では、少女巻や若菜上巻で嵯峨野の秋の美しさが取り上げられている他、光源氏が嵯峨野に建立した御堂を

造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり。(松風巻)

と記しています。
041nakosho 大覚寺の「滝殿」とは、大沢池の北に遺構が残る名古曽滝(なこそのたき)のことです。
この滝は、藤原公任が

滝のおとはたえて久しくなりぬれどなこそながれて猶きこえけれ(『公任集』119)

と詠んでおり、『源氏物語』が書かれるよりもかなり前の時代に涸れてしまったこと、涸れた後も人々は往時の繁栄をちゃんと知っていたことがわかります。
この滝跡は現在、発掘調査で判明した遣水の流路に基づいて流れが復元されています。

040osawanoike 嵯峨院の時代からは1200年近くを経た現在も、大沢池周辺は桜・月・紅葉と四季折々に美しい風情を湛え、平安貴族が愛し逍遥した嵯峨野の景色を今に伝えています。
大覚寺の伽藍と大沢池の景観に、光源氏の「嵯峨野の御堂」の姿を重ねて想像するのも、楽しいのではないでしょうか。
写真は、上から順に大覚寺表門(大門)、名古曽滝跡、大沢池南東岸からの風景です(撮影はいずれも2006年4月)。

【Data】
住所:京都市右京区嵯峨大沢町4
交通:市バス「大覚寺」下車すぐ JR山陰本線嵯峨嵐山駅下車徒歩15分
拝観:受付時間9:00~16:30 拝観料500円
tel.:075-871-0071

【参考文献】
旧嵯峨御所大覚寺門跡(公式サイト)
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典』角川書店 1994年
田中隆昭編集『源氏物語の観賞と基礎知識20 絵合・松風』至文堂 2002年

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