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2006年8月11日 (金)

胡蝶

050kochou_1 051_2kochou_3 高麗壱越調に属する右方の舞楽曲。四人による童舞。
省略して、単に「蝶」と呼ぶこともあります。
『教訓抄』(天福元[1233]年成立の雅楽書)によると、作曲は延喜六[906]年、宇多法皇が童相撲をご覧になったときで、異説として前栽合わせのときに藤原忠房がつくったとの伝承も併記されています。
迦陵頻」の番舞で、法会では両曲の舞人が供花の後に舞を奉じるのが作法として組み込まれていました。
(写真左は2006年下半期風俗博物館展示「舞楽装束のいろいろ」より。右は『舞楽図』より「胡蝶」)

『源氏物語』では秋好中宮の季御読経の場面に登場し、紫の上の使者として「」と「」の装束を纏った童8人が桜と山吹の花を奉り、舞を披露しています。

「蝶」は、ましてはかなきさまに飛び立ちて、山吹の籬のもとに、咲きこぼれたる花の蔭に舞ひ出づる。(胡蝶巻)

051kochou_2 舞人の装束は「迦陵頻」と同じく別様装束で、天冠・袍・羽根・当帯・指貫・赤大口・糸鞋・剪採花(とりばな)から成ります。
額を飾る天冠は、右方の色調の常で銀製、両脇には緑の総角を垂らし、山吹の花を挿します。
袍は、現行の雅楽では萌黄色ですが、風俗博物館では平安時代の「青白橡」を再現した、少し茶色味を帯びた色を用いています。
刺繍は窠文と蝶で、指貫にも同じ刺繍を施してあります。
蝶の羽根を模った鮮やかな色彩の細工物の羽根を背負い、手には山吹の花を持ちます(この花を「剪採花」と呼びます)。
胡蝶巻で蝶の童が山吹の花を捧げ、舞の描写でも「山吹の籬」と出てくるのは、おそらく挿頭や剪採花の山吹と関連付けているのでしょう。
(写真2枚目は2004年上半期風俗博物館展示「季の御読経」より、山吹の花を奉る「蝶」の童)

楽曲形態は、高麗小乱声、高麗乱声が奏され、高麗乱声の間に舞人が登台、〈出手〉を舞って位置につきます。
続いて小音取が演奏されて、当曲(〈破〉と〈急〉)に入ります。
最後は、舞人が登台のときとは逆の順に舞い終えて退場していき、4人全員が退場したところで主奏者が吹止句を演奏して終わります。
残念ながら私は実際に舞を見たことがないのですが、蝶が花から花へと飛び回る様子を表現した可愛らしい舞だそうです。

【参考文献】
狛近真著 ; 植木行宣校訂『教訓抄』(日本思想大系第23巻『古代中世芸術論』所収)岩波書店 1973年
安倍季尚撰 ; 正宗敦夫編纂校訂『楽家録』(覆刻日本古典全集)現代思潮社 1977年
音楽之友社[編]『邦楽百科辞典 : 雅楽から民謡まで』音楽之友社 1984年
東儀信太郎[ほか]執筆『雅楽事典』音楽之友社 1989年
北爪有郷筆『舞楽図 右』(故實叢書第3輯第18回)吉川弘文館 1905年

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