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2006年9月15日 (金)

青海波(6)装束その4~平緒・太刀・表袴~

057seigaiha_6055seigaiha_4舞楽「青海波」の衣裳をご紹介する最終回は、下半身に着ける装束類についてです。
(写真左は、風俗博物館2006年下半期展示「桐壺帝の朱雀院行幸」より「青海波」を舞う光源氏の平緒と太刀のアップ。右は、『舞楽図』より「青海波」)

今回も、古文献の記述から確認いたしましょう。

用螺鈿野劒、是依舞太平樂也、青海波時用同野劒、(『中右記』康和四[1102]年三月九日)

螺鈿細劒、紺緒、[縫水等、](『中右記』康和四[1102]年三月廿日)

蒔絵螺鈿剣紺地平緒(『江家次第』巻第八「相撲召仰」)

表袴[文小葵](『河海抄』巻第四)

青海波(5)」で半臂と下襲に波を文様として施したことをご紹介しましたが、波の文様をもつはこの2つだけに留まりません。
『中右記』康和四[1102]年三月廿日条には、太刀を留める平緒にも「縫水等」つまり半臂と同様の海を表す模様を刺繍したことが記されています。
現行の装束ですと、立浪に加えて『舞楽図』に描かれているように千鳥の刺繍をしますが、袍と同じく平緒についても古文献に千鳥の刺繍のことは出てきません。
地色は紺(展示では夕陽を模した赤い照明がされていたため紫色に写っていますが、本来の色は多分淡い縹だと思います)で、この点も現行の白と紫の段だら模様とは異なります。

左の腰には、蒔絵と螺鈿で飾った細剣を帯びます。
現行の装束では太刀の鞘にも千鳥と波文様の飾りが施してありますが、古文献にはこうした飾りの記述は見当たりませんし、『中右記』康和四[1102]年三月九日条からは「太平楽」と「青海波」で同じ太刀を使い回していることがわかるので、平安時代の太刀には「青海波」専用の特殊な装飾はなかったと思われます。

通常、平舞で着用する襲装束では指貫を穿きますが、「青海波」の袴は、引用文のとおり古文献には「表袴」と記されており、現行の装束でも「差貫」とは呼ぶものの括り緒はなく、束帯装束の表袴に近い形をしています。
(したがって、この記事では「表袴」と表記することにします)

表袴の文様は、文献によって記述が異なります。
『河海抄』では上記のとおり小葵となっているのですが、『紫明抄』『原中最秘抄』にはいずれも「青海波(4)」で引用したように窠文と記されています。
成立年代は『紫明抄』『原中最秘抄』が13世紀後半(鎌倉中期)、『河海抄』が14世紀半ば(南北朝)ですので、その間の100年ほどで変遷が生じたのかもしれませんが、現行の装束の文様はやはり窠文ですので、『河海抄』の記述には疑問も残ります。
ついでながら、現行の装束では膝から下に金襴の別布を当てるということで、この点も古文献の記述とは大きく変わった仕立てになっています。
展示の表袴の文様がどうなっているかはよくわかりませんでしたが、時代の近さからいくと平安時代は窠文だったと考えるのが妥当でしょうか。

雅楽は伝統芸能として現存しているがゆえに、ついつい平安時代も同じだったと思いがちですが、調べてみると意外に激しく変遷していることがわかります。
ご紹介した風俗博物館の展示と古文献の記述から、「青海波」を舞う光源氏の姿をより具体的に想像していただけるようになったなら何よりです。

次回は、2人の舞人を囲む垣代についてご紹介します。

【参考文献】
多忠麿編 ; 林嘉吉撮影『雅楽のデザイン : 王朝装束の美意識』小学館 1990年
高島千春筆『舞楽図 左』(故實叢書第3輯第18回)吉川弘文館 1905年

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