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2006年10月21日 (土)

「面痩せ」の美

『源氏物語』は、健康なときよりもむしろ病や悩み、嘆きなどでやつれた姿の美しさを繰り返し描き出します。
中でも、長患いの果ての容貌が
こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ」(御法巻)
と絶賛される紫の上を筆頭に、物の怪に悩みやつれた様子が
かうてこそ、らうたげになまめきたる方添ひてをかしかりけれ」(葵巻)
と源氏の心を深く捕える葵の上や、
いよいよあはれげにあたらしく、をかしき御ありさまのみ見ゆ」(総角巻)
と臨終直前の姿が愛執と共に薫の眼に焼き付けられる宇治の大君など、病によって美しさが損なわれるのではなく、却って健康時以上の美しさを示し、見る者の愛情を掻き立てるという構図は、『源氏物語』の特徴的なものとして挙げることができます。

こうした傾向がより具体的に見て取れるのが、「面痩せ」という言葉の用例です。
面痩せ」の語は『源氏物語』全体では18例ありますが、実にその内11例までが、「なまめかし」(夕顔巻・若菜上巻・蜻蛉巻)「めでたし」(若紫巻・明石巻)「あてにうつくし」(若紫巻)「あてにきよら」(須磨巻)「らうたい」(真木柱巻)「あてにをかし」(若菜下巻)「あてになまめかし」(早蕨巻)「見るかひあり」(蜻蛉巻)と、美しさを表す形容語を伴って用いられています。

また作者は、『紫式部日記』でも
かく国の親ともてさわがれたまひ、うるはしき御気色にも見えさせたまはず、すこしうちなやみ、面やせて大殿籠もれる御ありさま、常よりもあえかに若くうつくしげなり。
と、やはりプラスの評価の下に産後の中宮彰子の面痩せした姿を描写しています。
(『源氏物語』の作者は紫式部ではないとする説もありますが、こうした特殊な感覚や思考の一致を見つけると、やはり『源氏物語』の作者は紫式部以外あり得ないと思わずにいられません)

『源氏物語』以前に病み痩せた女性の美しさを取り上げた物語作品は、『うつほ物語』が唯一の先行例として挙げられます。
(物語以外にまで範囲を広げると、『蜻蛉日記』に美的形容語を伴わない2例と、『枕草子』第125段に「雑色・随身は、すこし痩せて、細やかなるぞよき」とある例が見つかりました)
『うつほ物語』ではまだ全体的に、病や心労で衰えても盛りの美貌と変わらないとする類型的な表現に留まっているのですが、「面痩せたまへるは、貴に子めきたり」(国譲中)との描写のように、健康時とは異なる新たな美の発見の萌芽を見ることができます。

そしてそれをより細やかに描き出し、積極的に称揚したのが『源氏物語』だったのではないでしょうか。
作者は、『うつほ物語』が見つけかけたものを拾い上げ、自分の作品の中で新しい確固たる美意識の言挙げを成し遂げたのではないかと推測されるのです。

面痩せ」によって現れる美しさの中身は、用例にある形容語から限定できます。
なまめかし」「あて」は、瑞々しく柔らかな優美さや上品さ。
うつくし」「らうたし」「をかし」は、可愛らしさや可憐さ。
めでたし」「きよら」は、強く称賛される素晴らしさ、至高の美。
これらを総合するならば、身支度を整え化粧をし嗜み深く立居振舞にも気を遣っている健康なときには表に出てこない生身の柔らかさやか弱さを、取り繕わない愛しいものとして高い讃辞を与えたということになるでしょうか。
直接「面痩せ」の語は用いられていませんが、健康時は「うるはし」「よそほし」と端正で気詰まりな美しさばかりが強調されてきた葵の上が、出産前後の床に臥せっている場面でのみ「らうたげ」と形容されている例も、併せて参考になるかと思います。
病身による格式張らない素のままの愛らしさ、守ってあげたくなるような繊弱さに、見る人は慕わしい魅力を感じるのでしょう。

『源氏物語』によって明確に主張されたこの“面痩せの美”は、以後の物語に確実に定着していきました。
『栄花物語』『夜の寝覚』『浜松中納言物語』『堤中納言物語』などの作品では、面痩せした女君の美しさが「なまめかし」「うつくし」「らうたげ」「あはれげ」「あて」「かをりをかしげなる」といった形容を伴って繰り返し描かれています。
自然で透明繊細な美しさを愛でる感覚は、王朝人の美意識に合致して、「面痩せ」の語をキーワードとして深く浸透していったのだと思われます。
その美意識の水脈は、こうした古典文学の描写を違和感なく受け入れられる現代の読者の中にも、きっと脈々と受け継がれているのです。

※この記事は、@nifty文学フォーラム12番会議室で2002年10月27日に発言した内容をリライトしたものです。

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