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2006年11月12日 (日)

小袿と細長(2)細長

※この記事は前の記事から続いています。
 「小袿と細長(1)小袿」を未読の方は、併せてご覧いただければ幸いです。

066hosonaga_1 細長は、諸説があってその形状は明確には判明していません。
また、同じ「細長」という名称でも、幼年男子が着用するものと女性が着用するものとがあり、形も当然異なっていました。
女性の装束として用いられた細長は、袿または表着の上に重ねるもので、『枕草子』に

衣の中に細長は、さも言ひつべし。(一二九段「などて、官得はじめたる」)

とあることから、身幅が狭く裾の長い衣裳だったと推測されています。
童女の正装である汗衫に似た形とも言われますが、 円領ではなく垂領で、衽がなく、腋の開いた身丈の長い衣とする説が有力です。
後身頃がふたつに分かれているとの説もあり、風俗博物館で展示しておられる細長は、この説を採用して、後身頃が上半身の部分からふたつに大きく分かれ、長く裾を引く形になっています。
(上の写真は、2003年下半期展示「歳暮の衣配り(玉鬘巻)」より、明石の姫君の新年の衣裳に選ばれた「桜の細長」と「つややかなる掻練」)
袿だけを重ねた状態とは違って、腰の部分で当帯を結ぶのも細長の特徴です。
材質は、綾織物や浮織物の他、羅などの薄物も用いられ、花などを表した華やかな重ね色目が好まれたようです。
『源氏物語』の用例を挙げると、「」(末摘花・玉鬘・胡蝶・若菜上・若菜下・竹河)「山吹」(玉鬘・胡蝶)「」(胡蝶)「撫子」(胡蝶・宿木)「紅梅襲」(梅枝)「薄蘇芳」(若菜下)「」(若菜下)「紫苑色」(総角)と、多彩で美しい色目が沢山見つかります。
(一方で、行幸巻で末摘花が玉鬘の裳着のお祝いに贈ったのは「青鈍の細長」で、贈り主を考慮する必要がありますが、珍しく地味な色です)

一般には、細長は幼年~若年女子の私的な晴れ着と言われますが、『源氏物語』若菜下巻では「今年は三十七にぞなりたまふ」と記される紫の上と、彼女とほぼ同年輩の明石の君が、また『うつほ物語』蔵開下では30代半ば以上と推測される女三の宮と、「年四十に一つ二つ足らねど」と明記される式部卿宮の中の君が、それぞれ着用しており、実際は若い女性に限定されていた訳ではないようです。

067hosonaga_2 『源氏物語』での「細長」の用例を見ると、全部で26例あり、紫の上、明石の姫君、玉鬘、女三の宮、明石の君、玉鬘の大君、浮舟が着用しています。
(写真左は、風俗博物館2006年春の出張展示「柏木の垣間見(若菜上巻)」より、「桜の織物の細長」を着て御簾際に立つ女三の宮)
年齢は七歳(玉鬘巻の明石の姫君)から三十七歳(若菜下巻の紫の上)と幅広いですが、全員が一家の女主人か姫君、つまり傅かれる側の女君であるという共通点が見て取れます。
ただし、薫が後見役として中の君に衣裳を贈る場面では

女の装束どもあまた領に、細長どもも、ただあるにしたがひて、ただなる絹綾などとり具したまふ。みづからの御料と思しきには、わが御料にありける紅の擣目なべてならぬに、白き綾どもなど、あまた重ねたまへるに、(宿木巻)

とあり、この細長が中の君本人のための衣裳なのか、仕える女房達のためのものなのかは、判断がつきかねます。
着用の場面としては、玉鬘巻で装束が用意される新年の他、若菜下巻の女楽、宿木巻の初瀬詣でからの帰途などが挙げられますが、一方で源氏と絵を描く若紫(末摘花巻)や蹴鞠を見物する女三の宮(若菜上巻)、妹と碁を打つ玉鬘の大君(竹河巻)など、日常的な場面もあります。

その他の作品に目を転じると、意外に細長を着た女性の姿を描いたものは少なく、同時代の作品では『うつほ物語』のみ、後期物語では『狭衣物語』に僅かに2例が見られる程度です。
着用している人物も、『うつほ物語』では女一の宮、女三の宮、式部卿宮の中の君、宰相の君、いぬ宮の5人、『狭衣物語』でも源氏の宮と飛鳥井女君の姫君の2人だけで、やはり主人の立場にある女性に限られます。
年齢も、四歳(『狭衣物語』巻三の飛鳥井女君の姫君)から三十八・九歳(『うつほ物語』蔵開下の式部卿宮の中の君)までとなっています。
着用の場面は、公卿との対面や転居などやや改まった折が主ですが、洗った髪を乾かす際に着ている『うつほ物語』蔵開中の女一の宮の例や、他の子供達と遊んでいる『狭衣物語』の飛鳥井女君の姫君の例のように、日常的な場面も見られます。
また逆に、『うつほ物語』楼上下で琴の伝授を終えて俊蔭女と共に楼から下りるいぬ宮は、嵯峨院・朱雀院両上皇の御幸があるにもかかわらず裳唐衣ではなく細長を着ています。
俊蔭女は唐衣を着用しているのですが、これはいぬ宮がまだ裳着を済ませていない未成年だからでしょうか?

以上のように、女房の着用例が(微妙な例はありますが)見当たらないこと、また儀式などでの着用例がなく、特段の格式を要する場面でない折に着ている例も多いことなどを考えると、細長は正式な場で着るものではない、あくまでプライベートな衣裳だったのではないかと思います。
略礼装として認められた小袿とは違い、日常生活の延長上にありつつ、重袿姿よりはきちんとした、着飾った装いという位置付けだったのだろうかと推測しています。

【参考文献】
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
長崎盛輝著『かさねの色目 : 平安の配彩美』京都書院 1996年
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典』角川書店 1994年
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の信仰と生活』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年

※この記事は、小池笑芭さんのWebサイト「源氏の部屋」に掲載していただいている「小袿と細長」に若干の加筆修正を加えたものです。

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