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2007年1月の記事

2007年1月26日 (金)

算賀(1)主催者と被算者

077sanga_1 算賀とは、長寿を祝い、更なる長寿を祈る通過儀礼です。
平安時代は数え四十歳から老年期と見做されて長寿を祝い、その後は10年おきに祝宴を催しました。
年齢に応じて「四十の賀」「五十の賀」などと言いますが、四十の賀だけは“shi”の音を忌んで「五八の賀」と称する場合もありました。
(写真は風俗博物館2004年上半期展示「玉鬘主催源氏四十の賀」より対面する光源氏と玉鬘)

算賀は奈良時代から行われており、『懐風藻』に収録されている「五言。賀五八年」(刀利宣令)や「五言。賀五八年宴」(伊與連古麻呂)などの漢詩が史料として確認できる古い例です。
(これら2つは、いずれも長屋王四十の賀に際して賦されたものと推測されています)
正史に見られる最も早い算賀の記録は、天長二[825]年に淳和天皇が主催した嵯峨上皇四十の賀(『類聚国史』巻二十八「太上天皇算賀」所収『日本後紀』佚文)とされます。
平安中期になると、算賀は皇族・臣下を問わず盛んに行われるようになり、史料に多く残されている他、長編物語にも描かれています。
『源氏物語』も勿論、ストーリーの中にこの儀式を取り込んでいます。

最初に、誰が誰のためにこの儀式を行うのかをまとめておきます。

主催者は、通常は祝われる人(以下「被算者」とします)の親族です。
『新儀式』第四「奉賀天皇御算事」には、

可奉賀天皇御算之年。中宮被奉賀之禮。[或太上天皇。若東宮諸親王。有修此禮。延喜十六年。太上法皇行之。承和□年。皇大弟献賀。]

と記されており、基本的に天皇の算賀は中宮が主催者を務め、場合によっては上皇・東宮・諸親王が主催することもあったことがわかります。
上皇や皇太后の算賀については、『新儀式』第四に「天皇奉賀上皇御算事」及び「天皇賀太后御算事」として挙がっているように天皇が主催するのが基本です。
そして、こうした基本路線の公事の他にも被算者の親族がそれぞれ算賀を主催し、1年の内に何回か催されるのが通例でした。
複数の親族が各々に算賀を主催するのは、被算者が天皇や上皇などの皇族である場合のみに限らず、一般の貴族についても同様でした。

浅尾広良氏「光源氏の算賀-四十賀の典礼-」(『源氏物語の準拠と系譜』所収)及び小町谷照彦氏「貴族の通過儀礼 四.算賀」(『平安時代の儀礼と歳事』所収)に挙げられている歴史上の算賀の事例を見ると、皇族・一般貴族を問わず子女や妻・親・兄弟姉妹などの親族が主催した例が多数見られます。
(具体的な事例は、上記文献でご確認ください)

こうした史実を踏まえて『源氏物語』の算賀をまとめると、以下のようになります。

被算者 年齢 主催者 続柄
一院 紅葉賀巻 桐壺帝 息子?
式部卿宮 五十 乙女巻 紫の上
光源氏 四十 若菜上巻 玉鬘 養女
紫の上
秋好中宮 養女
夕霧 息子
朱雀院 五十 若菜下巻 今上帝 息子
落葉の宮
女三の宮

『源氏物語』でも、史実に則り親族がそれぞれに主催しての算賀が描かれていることがわかります。

次回は、算賀を行う時期と場所についてご紹介いたします。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
浅尾広良[著]『源氏物語の準拠と系譜』第Ⅱ篇第3章「光源氏の算賀―四十賀の典礼―」翰林書房 2004年
中田武司編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識14 若菜上(後半)』至文堂 2000年
中田武司編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識3 若菜上(前半)』至文堂 1998年
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の儀礼と歳事』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年

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2007年1月21日 (日)

古事類苑検索試験システム

『古事類苑』という本をご存知でしょうか。
今からほぼ100年前、20世紀初頭に編纂された日本最大の百科事典です。
といっても、私達が普通イメージする百科事典とは少々編纂の仕方が違っており、それぞれの項目についての記述の大部分は各時代の文献から抜粋された引用文で、それらを細分類した見出しの下に時代順に配列する形式を取っています。
採録されている文献は、歴史書や有職故実書、その分野の専門的な書物から、日記や物語などまで幅広く、生の史料記述そのものを読み込まなければいけない手間はかかるものの、目を配るべき文献をこれ1冊で一網打尽にできるのが最大のメリットです。
また、項目の配列も私達が馴染んでいる百科事典のような五十音順ではなく、天部・歳時部・地部・神祇部…と主題別になっており、研究者の間では日本古典学の知識体系を網羅した百科事典としてこの分類も注目されています。

30の部と総目録・索引から編成され、洋装本で51冊ないし60冊から成る『古事類苑』
個人で所蔵するのはとても無理なこの本もまた、現在電子化してインターネットで全文を公開しようとの試みが始まっています。

古事類苑検索試験システム

現在進行形のプロジェクトで、試験公開も去年から始まったばかりのようですが、一部データの試験公開とはいえ、このプロジェクトのすごさは実際にリンク先に飛んでいただければ説明不要かと思います。
『古事類苑』がWeb上で閲覧できる、という自体も充分すごいことですけれど、もっとすごいのは本文がテキストデータで表示されること。
インターネット・エクスプローラでページを読み込むと、ルビや返り点なども含め本文がHTML形式のまま縦書き表示されます。
(FirefoxなどNN系のブラウザには対応していません)
同時に、画面右上に表示される[画像]ボタンをクリックすると、JPEG形式のページ画像も閲覧できます。
画像だけでなくテキストで本文が読めることは、画像を読み込む手間が省けるとかコピー&ペーストが使えるとか、いろいろ利点がありますが、一番大きいのは本文の検索が可能になるという点だと思います。
現在の試験システムでは、目次と五十音順索引から該当ページへジャンプする機能が提供されているだけですが(勿論これだって、書籍版を1ページずつめくることを考えたらものすごく便利な機能ですけれど)、将来的には全文検索も可能になるに違いない!と勝手に期待しています。

プロジェクトの紹介・進捗状況などは、このプロジェクトの中心になっている国際日本文化研究センター助教授・山田奨治氏の研究室Webサイトに掲載されています。
国際日本文化研究センター・山田奨治研究室>Data Mining for the Humanities>電子化古事類苑プロジェクト
このページの情報によると、既にページ画像のデジタル化は完了し、テキストの入力・校正を順次進めているとのこと。
今後どのように進展していくか、大注目のプロジェクトです。

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2007年1月18日 (木)

日本古典籍総合目録

『源氏物語』の注釈書や解説書を読んでいると、典拠資料としてさまざまな古典籍の名前が出てきます。
それらの古典籍の原文を読みたい、と思ったときに役立つデータベースをご紹介いたします。

日本古典籍総合目録

  • 国文学研究資料館作成
  • 同資料館ホームページ「電子資料館」内コンテンツ
  • 『国書総目録』『古典籍総合目録』所収の書誌・所在情報と著者の典拠情報、同資料館所蔵の和古書目録データ・マイクロ資料目録データ、『国書総目録』『古典籍総合目録』所収及び刊行後に追加した書誌・所在・典拠情報を収録

『国書総目録』は、1963~1976年に岩波書店から刊行された日本の古典籍の総合目録で、その後1989~1991年に補訂版が出版されています。
国初から慶応三[1867]年までに日本人が著作・編纂・撰修・翻訳した書籍50万点以上の書誌情報と、写本の所蔵機関、活字本・複製本の有無が掲載されています。
『古典籍総合目録』は、1990年に同じく岩波書店から刊行された『国書総目録』の続編で、活字本・複製本の有無が収録されていない点を除いては『国書総目録』と同じ構成です。

『国書総目録』と『古典籍総合目録』は、刊行以来日本の古典籍を探す際には真っ先に手に取るべき資料として重宝されてきましたが、これまた図書館に行かなければ入手できなかった情報が、このデータベースの公開によって自宅などにいながらにして利用できるようになった訳です。

このデータベースの利点としては、まず第一に書名や著者名の読みがわからなくても漢字のままで検索できる点が挙げられます。
これはデータベース全般に言える、紙に印刷された書籍と比較しての優れた特徴です。

そしてもうひとつ、このデータベースならではの特長として、別名からでも検索が可能なことがあります。
例えば、村上天皇の日記『村上天皇御記』は、他に『天暦御記』や『村上天皇宸記』とも称されます。
これを例えば国立国会図書館の蔵書目録・NDL-OPACで検索しようとすると、まずもって収録している本の書誌情報に内容細目(注:1冊の本に複数の著作が収録されている場合、中に入っているそれぞれの著作の情報を「内容細目」と言います)としてデータが入っていなければ当然ヒットしませんし、内容細目が記録されていてもその本に記載された書名のとおりに入力しないとヒットしません。
実際には、増補史料大成第一巻『歴代宸記』の中に『村上天皇御記』というタイトルで収録されていて内容細目にも記録されているのですが、このデータは『村上天皇宸記』や『天暦御記』で検索したのでは出てこない訳です。
また、『続々群書類従』第五にも、『三代御記』として宇多天皇・醍醐天皇の日記と共に収録されていますが、NDL-OPACの書誌データには『続々群書類従』第五の内容細目は記録されていません。
こうした、図書館の蔵書目録だけでは必ずしも調べきれない情報を、漏れなく見つけられるのは大きな利点です。

具体的な検索の仕方は、検索画面からもリンクしている利用のしかたをご覧いただけばよいのですが、検索画面を見ると「著作と書誌の違いって何?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるのではないかと思いますので、ちょっとだけ補足しておきます。
「著作」に収録されているのは、著作物そのものの情報です。
『源氏物語』を例に取ると、著者が紫式部で五十四帖から構成され分野は物語で…といったデータが、著作の情報になります。
それに対して「書誌」に収録されるのは、個々の写本・刊本・複製本に関する情報です。
物理的な本の形・大きさや本体に書かれた題名、書写者・出版者、作成年、所蔵者、全部揃っているのか一部分なのか、などのデータが含まれます。
どちらを検索しても、検索結果から相互にリンクしているのでレコード間の行き来はできますが、特定の写本や刊本の情報を知りたい場合を除いては、検索対象は初期設定の「著作」のままで問題ないと思います。

昨年12月までは、「国書基本データベース(著作編)」と「古典籍総合目録データベース」という2つのデータベースに分かれて試験公開されていましたが、今回これらを統合・拡張するのと同時に画面のデザインやインターフェイスも大幅に改善され、とても見やすく使いやすいシステムになりました。
電子化・情報化が遅れていると言われる日本の人文科学分野ですが、調査・研究の基盤となるツールがこのように次々と公開され、便利になったことを実感する昨今です。

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2007年1月 9日 (火)

平安貴族のサボタージュ事情

受領を除く都の平安貴族の主なお仕事は、参内して書類を決裁したり会議や儀式を執り行ったりすることでした。
週休二日制などというものは当然まだないこの時代、ほぼ名誉職の太政大臣は別として、実務を担う公卿・殿上人らは基本的に年中無休。
では毎日“出勤”していたのか、といえばそうでもなくて、実際はなんだかんだとサボっていたようです。
そんな1000年前の中央官僚・平安貴族達のサボタージュ事情の一端をご紹介します。

サボる口実の代表格は、今も昔も「病気」
平安時代にも仮病を使って出勤拒否を図る公卿はいたようです。
例えば藤原経実。
この人は関白師実の三男で、最終的には大納言正二位まで上っているのですが、残念ながら官僚としては無能だったようです。
天仁元[1108]年に近隣の家に飛礫を投げて騒ぎを起こした際には藤原宗忠に痛烈に批判されており、その批判の中に「毎有公事、称病不出仕」(『中右記』同年五月二十日条)という一節があります。
どうやら経実は仮病常習犯だったらしいことが覗われます。
また、古記録フルテキストデータベースで「称病」を検索すると、45件もヒットします。
勿論これらすべてが仮病ではありませんし参内とも限りませんが、病気を理由に参内しないというのは比較的よくあることだったようです。

平安時代特有の便利な口実が「物忌」です。
物忌には、坎日や往亡日など具注暦に書き込まれる凶日の他、悪夢や怪異現象、触穢などの際に臨時に設けられる物忌があり、この臨時の物忌が格好のサボりの口実になりました。
こちらも古記録フルテキストデータベースで検索すると、「称物忌」で24件もヒットします。
中には「今日射場始、称物忌不参、連日之勤老骨難堪」(『小右記』寛仁元[1017]年十月五日条)のように、自らサボりを日記に書き残している例もあります。
こうした実態を巧みにストーリー展開に取り込んだのが『源氏物語』宇治十帖で、匂宮や薫が女君の許に籠るために、また二条院に身を寄せた浮舟が人目を避けるために、嘘の物忌をでっち上げる描写が10例も見られます。

権門の私事に奉仕して公事を欠席するということもありました。
例えば、長保元[999]年八月九日に藤原道長は人々を率いて宇治へ赴いていますが、この日は定子中宮が出産に備えて平生昌邸に行啓する日で、藤原実資は「似妨行啓事」(『小右記』同日条)と批判しています。
同日条には、道長に随行しなかった上達部なども道長の意向に憚って参内しなかったことが併せて記されています。
また長和元[1012]年四月二七日の藤原娍子立后儀に際しても、公卿・殿上人の多くが妍子中宮の里下がりしている東三条第に伺候して参内を拒否したことが、『小右記』同日条に書き残されています。

こうしたサボタージュへの朝廷側の対策のひとつに、「分配」が挙げられます。
分配とは、恒例の公事に参仕する上卿・弁官や蔵人を予め定めておくことで、平安中期以降に行われるようになりました。
最初に分配を定めた『類聚符宣抄』第六収録の寛和二[986]年十二月五日付宣旨には、祭祀・国忌は国の重要な行事であるにもかかわらず、公卿達が故障を申し立てて欠席し儀式が滞るため、「四時諸祭。二季大祓。及東西寺国忌等」を取り仕切る上卿を予め割り当てると定め、分担の公事を欠怠した際の罰則も記しています。
しかし、それでも公卿のサボりはなくならなかったようで、永祚元[989]年五月七日付宣旨で分配の勤めを怠った公卿への罰則が再度定められたことが、『大日本史料』2編1冊所引『壬生文書』の中に見えます。
分配を行う行事自体も、当初の祭祀・国忌のみに留まらず、女王禄・釈奠・追儺などが加えられ、更に分配の対象も公卿のみならず弁官や蔵人に対しても行われるようになっていきました。
それだけ公卿以下官人のサボりが様々な儀式行事で頻発したことの表れと思われます。

それでも尚懲りずにサボって、遂には勅勘を被った例もあります。
『中右記』及び『殿暦』(藤原忠実の日記)の長治二年[1105]正月朔日条には、前夜の追儺に分配の大納言・藤原経実をはじめ中納言・源国信、右衛門督・源雅俊、右大弁・藤原宗忠の4人もが故障を申し立てて参内せず、勅勘を被って新年早々閉門蟄居したことが記されています。
既にご紹介したようにサボり常習犯と批判された人物と批判した人物とが同時に処罰されている辺りに、なんとも始末に負えないものを感じます。

翻って『源氏物語』を見直すと、先に挙げた宇治十帖ばかりでなく、第一部での光源氏の行動の中にもサボタージュと思しきものがいくつも見つかります。
例えば夕顔巻。
八月十五夜、宮中では月の宴が催された筈ですが、源氏は夕顔の五条の宿に泊まり、翌朝からは丸1日某院で過ごしています。
2晩目に至って「内裏に、いかに求めさせたまふらむ」と反省していますが、それも当然といえば当然でしょう。
賢木巻では、右大臣方ばかりが栄える宮中への出仕を厭い、三位中将と共に「宮仕へをもをさをさしたまはず、御心にまかせてうち遊びておはする」という挑戦的な態度を示します。
更に行幸巻でも、大原野行幸に際して「今日仕うまつりたまふべく、かねて御けしきありけれど、御物忌のよしを奏せさせたまへりける」と欠席しており、ここは玉鬘に冷泉帝の麗姿を印象付けて尚侍出仕に乗り気にさせようとの思惑から自分がその場に並ぶことを避けたとも読めます。
「さすが光源氏」と言うべき気儘さでしょうか。

以上、“サボタージュ”という括りで各種文献に見える事例をご紹介してまいりました。
今も昔も変わらない勤め人の本音が垣間見える、平安貴族の一断面です。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
山中裕, 鈴木一雄編集『平安時代の信仰と生活』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年
秋山虔編『源氏物語事典』(別冊國文學 ; No.36)學燈社 1989年
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース

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2007年1月 2日 (火)

『平安朝の年中行事』

076nenchu 『源氏物語』の中に織り込まれる四季折々の年中行事は、季節感と登場人物の立場や心情の両方を描き出す役割を果たしており、行事の内容を理解することで、物語が描こうとした意味に気づける側面もあります。
そうした歴史方面の理解を助けてくれる資料として、先にご紹介した『平安時代の儀礼と歳事』がありますが、年中行事に的を絞ってより詳しく解説しているのが本書です。

『平安朝の年中行事』
山中裕[著] (塙選書75) 塙書房 1972年刊行
ISBN:4-8273-3075-1 税込2,520円

既に刊行から30年以上も経った本ではありますが、史学・文学の両面から平安時代の年中行事を詳述した研究書として今でも増刷を続けているロングセラーです。

目次は以下のようになっています。

  • 序論
  • 第一章 年中行事の成立と変遷
    • 一 年中行事の意義
    • 二 年中行事の成立―宴から節会へ―
    • 三 年中行事の変遷
  • 第二章 平安朝の年中行事の特質と意義―正月四方拝より十二月追儺まで―
    • 一 春の行事
    • 二 夏の行事
    • 三 秋の行事
    • 四 冬の行事
  • 第三章 平安文学と年中行事
    • 一 その環境
    • 二 女流文学と年中行事

第一・二章は、歴史書や儀式書の記録を丹念に引きながら、歴史上の年中行事の実像を描き出します。
『源氏物語』に活写されている男踏歌や端午の節句、五節などの他、臨時客や内宴、月の宴のように文中に名前だけ出てくるもの、更には名前も出ないものまで、50近い行事が取り上げられています。
中国の文献も含めて漢文史料が白文のまま引用されているので、素人にはちょっと厳しいところもありますが、併せて『枕草子』や『紫式部日記』『栄花物語』といった仮名作品の記述が取り上げられており、両方を読み合わせると「なるほど」と思う点が少なくありません。
また第三章では、表題のとおり女流文学を中心とした平安文学に描かれた年中行事について考察しており、描写の史料的な価値と、美的な描かれ方の特質を指摘しています。
著者が歴史学者であるゆえか、文学作品の捉え方としては「?」と感じる箇所もないではありませんが、歴史の側から作品を見直す新鮮さを楽しめます。

『平安時代の儀礼と歳事』よりも更に史学方面の専門的な本ですので、最初は少々難しく感じるかもしれませんけれど、『源氏物語』の四季を雅やかに彩る年中行事をより深く味わいたい方にはお薦めです。
巻末には詳細な索引が付いていて、調べ物をする上でもとても役に立ちますので、学生さんのレポートの資料としても向いていると思います。

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