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2007年2月 9日 (金)

算賀(3)事前準備

前の2回で算賀という儀式を「誰がいつどこで」行うかをご紹介しましたが、これから4回かけて「どのように」をご紹介いたします。
まずは、大掛かりな儀式らしく当日前の準備から。

算賀の日取りは前もって定め、その日に向けてさまざまな準備が行われます。
『新儀式』の定めるところでは、天皇主催の上皇・太后算賀に際して1・2年前から行事官を定めて準備に当たるとあります。
『源氏物語』でも光源氏の四十の賀について

明けむ年、四十になりたまふ、御賀のことを、朝廷よりはじめたてまつりて、大きなる世のいそぎなり。(藤裏葉巻)

と語られますが、史料に照らせばこれが決して物語的誇張などではないことがわかります。

天皇・上皇・太后の算賀では、当日に先立って諸寺において諷誦(ふうじゅ。経文を声に出して読み上げること)が修され、また京中に賑給(しんごう。本来は天災時に難民へ米・塩などを給付することを指しましたが、慶事にも民に米・塩・布などが給与されました)が行われます。
秋好中宮主催の光源氏四十の賀で、六条院秋の町での饗宴に先立って

奈良の京の七大寺に、御誦経、布四千反、この近き都の四十寺に、絹四百疋を分かちてせさせたまふ。(若菜上巻)

と誦経を行わせた記述があるのは、この諷誦に準ずるのではないかと思います。

天皇主催の上皇・太后算賀の場合は、数日前に試楽が行われます。
『新儀式』には、仁寿殿東庭に舞台を設け、天皇・東宮が出御して舞を検分し、列席の親王や公卿に酒肴を賜い舞童に禄を授けるとの次第が記されており、『西宮記』にも

承平四年三月廿四日、中宮御賀試楽、天皇御仁寿殿覧其儀、(巻十二「皇后御賀事」)

と記録されています。

こうした原則を踏まえると、『源氏物語』における朱雀院行幸の試楽を

主上も、藤壷の見たまはざらむを、飽かず思さるれば、試楽を御前にて、せさせたまふ。(紅葉賀巻)

と桐壺帝が御前(=清涼殿東庭)で執り行ったのは、藤壺のための特例措置だったと考えられます。
また、光源氏が六条院において朱雀院五十の賀の調楽を行うのを「試楽」(若菜下巻)と称していることに注意するなら、天皇主催の上皇算賀に準ずる儀式次第を踏んでいることになります。
浅尾広良氏「光源氏の算賀-四十賀の典礼-」(『源氏物語の準拠と系譜』所収)は、

「四十の賀といふことは、さきざきを聞きはべるにも、残りの齢久しき例なむ少なかりけるを、このたびは、なほ、世の響きとどめさせたまひて、まことに後に足らむことを数へさせたまへ」(若菜上巻)

という源氏の言葉を取り上げて、四十の賀を受けて程なく亡くなった仁明・村上両天皇を念頭に自らを天皇に重ねていると指摘していますが、ここでも源氏は天皇と重ね合わせられている訳です。

『新儀式』第四「天皇奉賀上皇御算事」には、算賀前日に内裏において行事所に命じて調度類の検分を行い、その後それらを会場となる朱雀院へ運び出すことも書かれています。

次回は、当日の室礼についてです。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
浅尾広良[著]『源氏物語の準拠と系譜』第Ⅱ篇第3章「光源氏の算賀―四十賀の典礼―」翰林書房 2004年
中田武司編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識14 若菜上(後半)』至文堂 2000年
中田武司編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識3 若菜上(前半)』至文堂 1998年
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の儀礼と歳事』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年

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