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2007年3月 6日 (火)

法華八講(3)本尊

090hakkou_05_2 法会では、仏像を安置したり仏画を掲げたりして本尊とします。
顕教である法華経の性格から、法華八講の本尊には通常は釈迦如来像を用いたと考えられますが、平安時代の事例を見ると、主催者や、追善供養の場合はその対象となる故人の宿願により、他尊を用いることも少なからずあったようです。
山本信吉氏がまとめた表に従うと、釈迦如来や釈迦三尊(釈迦如来を中尊として両脇侍に文殊菩薩・普賢菩薩が配されるのが一般的)の他、薬師如来や観音菩薩、阿弥陀如来などの名前が並び、更には大日如来や両界曼荼羅、大日曼荼羅など密教系の仏像・仏画が本尊となっている例もあります。

風俗博物館の展示では、普賢菩薩像が本尊とされていました。
(上の写真は2007年上半期展示「紫の上による法華経千部供養」より、寝殿に安置された普賢菩薩像)
普賢菩薩は、法華経二十八品の最後である普賢菩薩勧発品に登場する菩薩で、釈迦入滅後の世界において法華経を受持し修行する者を守護することを誓願します。
その際、普賢菩薩は

是人若行若立。讀誦此經。我爾時乘。六牙白象王。與大菩薩衆。倶詣其所。而自現身。供養守護。安慰其心。
(この人、若しくは行み若しくは立ちて、この経を読誦せば、われはその時、六牙の白象王に乗り、大菩薩衆と倶にその所に詣りて、自ら身を現し、供養し守護して、その心を安んじ慰めん。)

と語ることから、絵画や彫刻に模られるときには、写真のように六牙の白象に乗り、法華経受持者を供養礼拝して合掌する姿とされるのが一般的です。
展示の普賢菩薩像は、大倉文化財団所蔵の国宝・普賢菩薩木像を参考に作成されたとのことでした。
『源氏物語』読者にとって普賢菩薩といえば、末摘花の鼻を譬えた「普賢菩薩の乗物とおぼゆ」(末摘花巻)という描写が真っ先に思い浮かぶところでしょうが、この譬えも、普賢菩薩が法華経受持者の守護者として信仰され、人々によく知られていればこそ可能だったと思われます。

法会に際して新たに仏像を造立する、あるいは新仏供養として八講を営むこともよく行われたようで、史料にいくつもの例を見ることができます。
(同様に新たに写経をして経供養を営む例もあり、仏像と経典の両方を誂えて供養する方がむしろ多いようですが、写経については後述します)
例えば、長和元[1012]年五月十五日から皇太后彰子が故一条院のために営んだ法華八講では釈迦三尊を新造していますし(『小右記』)、寛仁二[1018]年十二月十四日から営まれた藤原道長による両親追善の法華八講では
金色等身釈迦・阿弥陀仏、普賢・文殊・観音・徳大等菩薩」(『小右記』同日条)
と多様な仏像が造られています。
『栄花物語』にも、万寿三[1026]年五月十九日から営まれた皇太后妍子主催の故三条院追善八講(巻第二十七「ころものたま」)や治暦三[1067]年に中宮章子内親王が営んだ法華八講(巻第三十七「けぶりの後」)で仏像が造立され、供養が行われたことが記されています。
また、少々時代は下りますが、元永二[1119]年九月三十日に鴨院で源師子(時の関白・藤原忠実の妻)が仏経供養を営み、翌十月一日から講説が始まった法華八講の儀式次第は、『中右記』に詳細に記録されています。

『源氏物語』の中に本尊についての描写はありませんが、

六条の院の御ため、紫の上など、皆思し分けつつ、御経仏など供養ぜさせたまひて、いかめしく、尊くなむありける。(蜻蛉巻)

との記述があり、明石中宮主催の法華八講において、同時に仏経供養を営んだことがわかります。
皆思し分けつつ」とあるので、対象となる故人それぞれの生前の信仰に即して複数の仏像が造立されたのではないでしょうか。

091hakkou_06_1 092hakkou_07_1 最後に、イメージの参考として過去に風俗博物館で展示された仏像・仏画の写真を2枚掲載します。
左は2003年下半期展示「月見の宴~国宝源氏物語絵巻「鈴虫(一)」再現~」より、女三の宮の持仏として御帳台に安置された阿弥陀三尊像。
右は2004年上半期展示「秋好中宮主催による季の御読経」より、本尊として掲げられた大日如来・観音菩薩・虚空蔵菩薩図像。
(右側の写真は、博物館の許可を得て模型上方から撮影させていただいたものです)
こうした美しい仏像や仏画が法会の中心に位置していた筈で、平安時代の華麗な仏教信仰の形が想像される次第です。

【参考文献】
須田哲夫編『源氏物語の鑑賞と基礎知識13 末摘花』至文堂 2000年
今成元昭「法華八講の<日>と<時>―古典解読のために―」(「立正大学人文科学研究所年報」31号 1994年 pp.1-9)
安東大隆「『栄華物語』にみえる法華八講」(「別府大学紀要」31号 1990年 pp.1-6)
山本信吉「法華八講と道長の三十講」(上:「仏教芸術」77号 1970年 pp.71-84 下:「仏教芸術」78号 1970年 pp.81-95)
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース

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