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2007年4月14日 (土)

法華八講(10)捧物その1~参会者と非参会者~

087hakkou_02平安時代の法華八講において衆目を集めた薪の行道を煌びやかに彩ったのは、参会者が持ち寄るさまざまな捧物(ほうもち)でした。
捧物は、読んで字のとおり仏前に供える捧げ物で、「以其捧物分施請僧」(『扶桑略記』天暦九[955]年正月四日条)との記述が伝えるように、実質的には法会に奉仕した僧達への布施になりました。

今日の御捧物はをかしうおぼえたれば、事好ましき人々はおのづからゆゑゆゑしうしたり。それは制あるべきことならねばにこそあらめ。(『栄花物語』巻第八「はつはな」)

との記述が物語るように、仏様への捧げ物という性格から、贅を尽くし数寄を凝らしても過差を咎められることはなかったらしく、人々は競って華麗で風雅な捧物を用意しました。
(写真は、風俗博物館2007年上半期展示「紫の上による法華経千部供養」より、思い思いに趣向を凝らした捧物を手に行道する上達部・殿上人達。
この写真は、博物館の許可を得て模型上方から撮影させていただいたものです)

法会に列席する人は勿論のこと、主催者よりも身分が高く自ら会場に足を運ぶことのない人も、主催者との関係に応じて五巻の日に使者を立て、捧物を届けました。
一例として藤原道長の場合を取り上げてみると、寛弘元[1004]年五月十九日発願で自ら営んだ東三条女院詮子追善八講には一条天皇・花山院・中宮彰子から捧物を賜っており(『御堂関白記』同月二十一日条)、彼の家司であった源頼光が長和四[1015]年閏六月十二日から営んだ法華八講には捧物を出している(『小右記』同月十五日条)、といった具合です。
自分が主催した八講・三十講に関する『御堂関白記』の記述は概ね簡略なのですが、その中で后の宮なり院なりから捧物として何々を賜った、ということは比較的よく記録されている印象があります。
高位の人物から贈られる捧物には、参会者の顔ぶれと並んで主催者の権勢のバロメーターのような意味合いがありましたので、道長の記録の仕方もあるいはそれと関連するのかもしれません。
(この点については後の回で改めてご説明いたします)

『源氏物語』の場合ですと、紫の上主催の法華経千部供養で

内裏、春宮、后の宮たちをはじめたてまつりて、御方々、ここかしこに御誦経、俸物などばかりのことをうちしたまふだに所狭きに、
(御法巻)

とあるうち、帝と東宮、后達(秋好中宮・明石中宮)は参会せずに捧物を届けるパターンで、御方々(花散里・明石の君)は捧物を持参して列席したということになります。
また、藤壺主催の法華八講では

親王たちも、さまざまの捧物ささげてめぐりたまふに(賢木巻)

とあり、親王達が自ら捧物を手に行道したと読めますが、これは主催者が中宮であり内親王である藤壺であればこそのことではないかと思います。

では、具体的にどのような捧物が用意されたか、次回ご紹介いたします。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
安東大隆「『栄華物語』にみえる法華八講」(「別府大学紀要」31号 1990年 pp.1-6)
高木豊著『平安時代法華仏教史研究』平楽寺書店 1973年
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース

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