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2007年4月20日 (金)

法華八講(12)写経・経供養

114hakkou_29 115hakkou_30法華八講に際しては、新たに仏像を造立したり経典を書写したりして供養することがよくありました。
特に写経は、『法華経』第十「法師品」、第十七「分別功徳品」、第十九「法師功徳品」などの中でその功徳が説かれていることもあり、盛んに行われました。
中でも第十「法師品」には

若復有人。受持。読誦。解説。書写。妙法華経。乃至一偈。於此経巻。敬視如仏。種種供養。華香。瓔珞。抹香。塗香。焼香。繒蓋。幢幡。衣服。伎楽。乃至合掌恭敬。薬王。当知是諸人等。已曽供養。十万億仏。於諸仏所。成就大願。愍衆生故。生此人間。
(若しまた人ありて、法華経の、乃至一偈を受持し、読・誦し、解説し、書写して、この経巻を敬い視ること仏の如くにして、種種に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢幡・衣服・伎楽を供養し、乃至、合掌し恭敬せば、薬王よ、当に知るべし、この諸人等は、已に曽、十万億の仏を供養し、諸の仏の所において、大願を成就せるも、衆生を愍むが故に、この人間に生れたるなり。)

とあり、経典を書写し仏と同等に供養礼拝する功徳が説かれたことから、平安中期から後期にかけて、美しい装飾・装丁を施した装飾経が数多く制作されました。
その頂点に位置するのが、厳島神社に現存する平家納経です。
平家納経は『源氏物語』の書かれた時代より150年も後につくられたものですが、軸に高価な玉や水晶を嵌め、金具に精巧な細工を施し、表裏とも金銀の切箔や砂子・野毛をふんだんに散らした色紙に多彩な顔料で表紙・見返しの絵を描いた経典の姿は、善美を尽くした平安時代の装飾経の粋を現代に伝えてくれます。
またこれほど豪華ではなくとも、奈良時代以来の伝統的な紺や紫の地の紙に金泥または銀泥で書写した経典にも、10世紀頃から見返しに金銀で経意絵(経典の主旨を表現した仏画)を描く装飾が加えられるようになりました。
見返し絵を描いた写経の早い例と目されるのは、醍醐天皇が母后胤子のために書写し延長三[925]年八月二十三日に供養した宸筆法華経で、紺紙金字で紺の綾を裏に打ち、経意絵が描かれ水晶の軸と縹の組帯で仕立てられたと伝わっています(『大日本史料』1編5冊所引『勧修寺文書』)。
『栄花物語』には、法華八講の捧物として「銀の法華経一部」(巻第二十七「ころものたま」)が現れる他、治安元[1021]年秋に皇太后宮妍子の女房達30人が結縁して『法華経』二十八品及び開結二経を書写し経供養を営んだ記事では、極めて華麗な装飾経が描き出されています。

経の御有様えもいはずめでたし。あるは紺青を地にて、黄金の泥して書きたれば、紺泥のやうなり。あるは綾の文に下絵をし、経の上下に絵を書き、また経のうちのことどもを書き現し、涌出品の恒沙の菩薩の涌出し、寿量品の常在霊鷲山の有様、すべていふべきにもあらず。提婆品はかの竜王の家のかたを書き現し、あるは銀、黄金の枝につけ、いひつづけまねびやるべき方もなし。経とは見えたまはで、さるべきものの集などを書きたるやうに見えて好ましくめでたくしたり。玉の軸をし、おほかた七宝をもて飾り、またかくめでたきこと見えず。経函は紫檀の函に、色々の玉を綾の文に入れて、黄金の筋を置口にせさせたまへり。唐の紺地の錦の小紋なるを折立にせさせたまへり。あなめでた、同じくはかうやうにしてこそ、持経にしたてまつらめと見えたり。(巻第十六「もとのしづく」)

『源氏物語』でも、藤壺主催の法華八講で

日々に供養ぜさせたまふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の飾りも、世になきさまにととのへさせたまへり。(賢木巻)

と、美麗な装飾経を用意したことが、藤壺賛美の口調で語られます。
現代人から見ると、こうした記述はいかにも貴族趣味的・唯美主義的に思えるところですが、当時の人々にとっては単なる美的趣味に留まらず、写経の功徳を頼む信仰心の表出でもあったのだと想像されます。
(上の写真はいずれも風俗博物館2007年上半期展示「紫の上による法華経千部供養」より。
左は、北廂に立てられた経机の上の経巻。右は、本尊前の経机に乗った経巻。
どちらも金泥で本文と見返し絵が描かれています)

ところで、『法華経』を書写するにはどのくらいの労力がかかったのでしょう。
鳩摩羅什訳『妙法法華経』は八巻から成り、文字数は70,000文字を超えると言います。
高木豊氏は『平安時代法華仏教史研究』(平楽寺書店 1973年)の中で、

時代は降るが、『二中暦』では、法華経一部八巻二十八品を一日で書写するには、書手三十人、催二人、調巻師三人を要し、費用は書手に浄衣三十両、書手布三十段、催二人に各疋絹、調巻師には布三段と浄衣が与えられ、さらに墨三十廷・筆三十管・饗三十五前(料米三解五斗)・酒肴一度(料米三斗)・外題書料一段を必要とした。

116hakkou_31と述べており、これに従えば、紫の上のように1,000部を書写させるには人員延べ35,000人、1日1部のペースで3年近くかかる計算になります。
紫の上の法華経千部供養が「げに、石上の世々経たる御願にや」(御法巻)と評されるのも納得です。
法華八講では、主催者が自ら書写した『法華経』を供える例が少なからずありますが(例えば、天暦九[955]年一月四日発願の村上天皇宸筆八講、寛弘元[1004]年五月十九日発願の藤原道長による東三条女院追善八講、寛仁二[1018]年十二月十四日発願の藤原道長主催亡父母追善八講など)、1人で書写すると終日かかりきりでも1部完成させるのに30日かかる訳で、故人への強い思いがなければ難しいことだったのではないかと思われます。
それ故に、自筆の写経は

永昭いみじくめでたく仕うまつれり。御経は手づからかかせたまへればにや、いみじくめづらかなることども言ひつづけたり。殿ばらなどいみじう聞しめしはやしたまふ。「瑠璃の経巻は霊鷲山の暁の空よりも緑なり。黄金の文字は上茅白の春の林よりも黄なり」など、いみじくしもてゆけば、(『栄花物語』巻第十四「あさみどり」)

というように、講師も大いに褒め称え功徳を讃美したのでしょう。
(写真は風俗博物館2007年上半期展示「紫の上による法華経千部供養」より、唐櫃に収められた1,000部の経巻。
美しい絹布の表紙が付けられています)

尚、書写した経典を地中に埋める埋経が盛んに行われたのも平安中期以降の法華信仰の特色のひとつで、埋経に当たっての経典供養として、法華八講とは形式が異なりますが法華講会(法華経を講説・礼讃する法会)が営まれることがありました。
今年は、藤原道長が金峯山に法華経をはじめとする多数の経巻を埋納してからちょうど1000年に当たります。

※掲載した写真は、いずれも博物館の許可を得て模型上方から撮影させていただいたものです。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
奈良国立博物館編集『厳島神社国宝展 : 台風被災復興支援』読売新聞大阪本社 2005年 ※展覧会図録
小町谷照彦編『源氏物語の鑑賞と基礎知識19 御法・幻』至文堂 2001年
須田哲夫編『源氏物語の鑑賞と基礎知識13 末摘花』至文堂 2000年
今泉淑夫編『日本仏教史辞典』吉川弘文館 1999年
高木豊著『平安時代法華仏教史研究』平楽寺書店 1973年
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース

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