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2007年4月30日 (月)

法華八講(15)その他雑感

平安時代に営まれた法華八講という仏事について、またこの儀式の『源氏物語』での描き方について、14回に亘って書き連ねてまいりましたが、最後にこの連載の発端となった風俗博物館の展示や調べ物の中で引っかかった点を、メモとして挙げておきます。

<1>参会者の装束

087hakkou_02風俗博物館の展示を拝見してひとつ違和感を覚えたのが、行道する参会者の装束でした。
公事ならば束帯で参列するのが当然でしょうけれど、いかに准太上天皇の妻とはいえ、紫の上の私的な仏事に赴くのに束帯を着用するとは思えません。
また、紫の上や花散里・明石の君といった女君達が揃って裳唐衣を着ているのも気になりました。
展示レジュメを読むに、法華八講の展示全体が『栄花物語』巻第三十七「けぶりの後」の記述を参考に具現されているようなのですが、この巻で描かれているのは高陽院内裏で後冷泉天皇が営んだ亡父後朱雀院追善八講の様子で、こちらは歴とした公事です。
では私的に営まれた八講では、人々はどんな服装で列席したのでしょうか。
(写真は、風俗博物館2007年上半期展示「紫の上による法華経千部供養」より、薪の行道で捧物を手に本尊の周りを巡る上達部・殿上人達。
浅緋・深緋・浅紫・深紫の束帯姿で、老懸(おいかけ)を着けた武官装束の人もいます。
この写真は博物館の許可を得て、模型上方より撮影させていただきました)

男性の装束については、『枕草子』にはっきりした記述があります。
寛和二[986]年六月の藤原済時主催結縁八講に参会した人々の装束は、

二藍の指貫、直衣、あさぎのかたびらどもぞ透かしたまへる。すこし大人びたまへるは、青鈍の指貫、白き袴もいと涼しげなり。(中略)殿上人、若君達、狩装束、直衣などもいとをかしうて、(第三十二段「小白河といふ所は」)

と記され、身分の高い人々は直衣、下の身分の人々は狩衣で列席したことが確認できます。
また、兼家追善の法興院八講で「左府著直衣被参」(『小右記』長和[1013]二年七月二日条)、藤原道長が営んだ法華三十講五巻の日に「左府加着其座、[布袴装束、]」(『小右記』長和元[1012]年六月十八日条)だったと記録されています。
(引用文中の「左府」はいずれも道長のこと)
『小右記』で装束のことが記されるのは、通例と異なるとか、一部の人だけ周りと違う衣裳だったというような場合が多いので、これが標準的な服装だったと考えるのは少々危険な気もしますが、束帯を着る場面でないことは確かだと思います。

119hakkou_34 一方、女性の装束となるとこちらは皆目わかりません。
女房の衣裳は『栄花物語』に執拗なまでに詳しく記されていますが、対照的に女主人の衣裳については全くと言っていいほど記述がなく(例外的に記されているのが、上記高陽院内裏八講での皇后寛子と中宮章子内親王の装束)、彼女達は男性の目に触れることがないので公家日記にも当然そんな記録は残りません。
(写真は風俗博物館2007年上半期展示「紫の上による法華経千部供養」より、法会に参会した明石の君。裳唐衣の正装です)
上と同じ『枕草子』第三十二段には、八講の見物に来た女車の様子が

下簾など、ただ今日はじめたりと見えて、濃きひとへがさねに二藍の織物、蘇枋の薄物の表着など、後にも摺りたる裳、やがてひろげながらうち下げなどして

と描写されており、中の女性は裳を着けていたかと思いたくなりますが、出車は『満佐須計装束抄』に記されているとおり装飾用に女房装束を掛け下げて車の外に引き出すものなので、乗っている人の衣裳との関連性はありません。
八講を主催した藤壺や紫の上は、法会の間どんな服装で簾中に座していたのでしょうか。
残念ながら、手がかりとなる事例は見つかりませんでした。

<2>紫の上の法華経千部供養は法華八講か否か

御法巻の記述は、これまでの記事の中でもあちこちで触れたように、八講であると考えても八講ではないと考えても矛盾が生じる不可解な内容になっています。

  • 八講であると考えた場合の疑問点
    • 法会にかけた期間が僅か一昼夜
      (「三月の十日」を五巻の日とする解釈もありますが、素直に読めば十日の日中に始まり十一日朝に終了)
    • 請僧が精義・講師・聴衆ではなく「七僧
  • 八講でないと考えた場合の疑問点
    • 捧物の用意される仏事は法華講会以外ほぼ皆無
      (例外的に、道長の比叡山舎利会を記した『御堂関白記』寛弘六[1009]年五月十七日条に「有捧物」)
    • 法華讃嘆を唱える仏事も法華講会以外に見当たらない
      (現代の仏教でも、法華讃嘆を唱える法会は法華八講と法華大会のみ)

本当のところ、法華経千部供養はどのような式次第で進められたのでしょうか。
あれだけの描写で、当時の人々は法会の様子を具体的に想像できたのでしょうか。
調べれば調べるほど不思議に思えてなりません。

【参考文献】
小町谷照彦編『源氏物語の鑑賞と基礎知識19 御法・幻』至文堂 2001年
天納傳中[ほか]編著『仏教音楽辞典』法蔵館 1995年
甲斐稔「『源氏物語』と法華八講」(「風俗」21巻3号 1982年 pp.43-58)
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース

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