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2007年5月の記事

2007年5月25日 (金)

住吉大社

122sumiyoshi_1 明石一族が信仰し、澪標巻と若菜下巻の2度に亘って盛大な参詣が描かれる「住吉の御社」は、海と航海の神として古来より瀬戸内海沿岸の海人部の篤い信仰を集めた大社です。
伊弉諾尊が黄泉国から戻って禊をした際に海の中から生まれた住吉大神(底筒男命〔そこつつのをのみこと〕、中筒男命〔なかつつのをのみこと〕、表筒男命〔うわつつのをのみこと〕の三神の総称)と、大神を神意に従ってこの地に祀った息長足姫命(=神功皇后)の四神をご祭神としています。
「住吉」の名は、平安時代には既に「すみよし」と読んでいましたが、古くは「すみのえ」と読み、元々は“澄んだ入り江”の意味だったと推測されています。
住吉大神は、航海の守り神として港となる清浄な入り江に祀られた神だったのでしょう。

今は埋め立てによって海からはだいぶ離れた立地になってしまっており、海神というイメージも薄まり勝ちですが、かつての境内は海に臨んでいました。
若菜下巻には「二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに」と大社から海を眺める描写がありますし、佐竹本『三十六歌仙絵巻』の住吉明神図では、波打ち際に鳥居が建ち境内のすぐ傍に舟が漕ぎ寄せる様子が描かれています。
ぐっと時代の下った明治時代にも、社門から400mほど西の住吉公園西端にある高燈籠の辺りまで海が迫っていたといいます。
また、神社全体が西向きになっているのも、瀬戸内海を正面として建てられているが故です。

123sumiyoshi_2 華麗な住吉詣の場面は源氏絵でも多く取り上げられていて、そこで必ずと言っていいほど描かれているのが、朱塗りの鳥居または反橋(両方の場合も)、松、そして浜辺または舟です。
それらの景物のうち、浜辺と舟は無理ですが、他の3つは現在でも目にすることができます。

まず鳥居は、現在では石造りになっています。
特に本殿に至る手前の鳥居は、「住吉鳥居」と呼ばれる珍しい四角柱の鳥居です。
この形は、各本宮の拝殿と本殿の間に建てられている朱塗りの鳥居を原型とする古い様式だそうですが、源氏絵に描かれるのは専ら海に面した参道手前の鳥居であるせいか、四角柱の鳥居は確認できません。
平安時代にも、このような形の鳥居が参拝者を出迎えたのでしょうか。
(写真は、上が参道入口の鳥居、その下が反橋を渡った先に建つ住吉鳥居)

124sumiyoshi_3 そして鳥居以上に特徴的なのが、池の上に架け渡された大きな反橋です。
「太鼓橋」とも呼ばれ、住吉大社の象徴的存在になっています。
平安時代からあったのかどうかは、残念ながら私が調べた範囲では確認が取れませんでしたが、現在の石の橋脚は淀殿あるいは豊臣秀頼が戦乱の時代に朽損した社殿の再興のために奉納したものだそうで、それ以前から存在したことは確かでしょう。
(写真は、参道から撮影した反橋。参拝客はここを渡って住吉鳥居をくぐり、本殿に向かいます)

125sumiyoshi_4 126sumiyoshi_5 最後の松は、平安時代から“住吉といえば松”という図式があったようで、『源氏物語』原文にも繰り返し「松の緑」「松原」と描写されており、現在も本宮の周囲や反橋のかかる池の周りなど境内のあちこちに植えられています。
住吉大社の本宮は、住吉三神を祀る第一本宮から第三本宮までが東西方向に縦一列に並び、息長足姫命の第四本宮が第三本宮の南隣に立つという他に例を見ない特異な配置になっていますが、それらの建物を取り囲むように、松やその他の常緑樹が植わっています。
残念ながら私が訪れたときは曇天でしたので写真の発色が良くありませんけれど、晴れた日は朱塗りの本宮と松の緑とが美しいコントラストを見せるのだろうと思います。
(写真は、右が縦並びの第一~第三本宮、左が第四本宮です。以上、写真はすべて2007年2月撮影)

和歌の神様としても信奉され、平安貴族がしばしば美々しい行列を整えて華やかに参詣した住吉大社。
現在も沢山の参拝客で賑わっています。

【Data】
住所:大阪市住吉区住吉2丁目9-89
交通:阪堺電軌阪堺線住吉鳥居前駅下車徒歩すぐ 南海電鉄住吉大社駅下車徒歩3分
拝観:6:00~17:00(ただし10月~3月は6:30開門) 拝観無料
tel.:06-6672-0753

【参考文献】
日向一雅編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識24 澪標』至文堂 2002年
学習研究社編『豪華「源氏絵」の世界 : 源氏物語』学習研究社 1988年
平凡社地方資料センター編『大阪府の地名』(日本歴史地名大系28)平凡社 1986年
住吉大社『住吉大社の由緒』 ※拝観者用パンフレット
住吉大社ウェブサイト

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2007年5月16日 (水)

『平安時代儀式年中行事事典』

121gishiki 儀式・年中行事は、平安貴族の生活の中で大きなウェイトを占めており、『源氏物語』の中にもさまざまな形で取り入れられています。
そうした方面の知識を得るための資料として、これまでも『平安時代の儀礼と歳事』『平安朝の年中行事』をご紹介してきましたが、今回の資料は、
「儀式書などの史料そのものを読んでみたいけれど、白文の原文には歯が立たない」
という私のような素人愛好家にとって正にうってつけの1冊です。

『平安時代儀式年中行事事典』
阿部猛, 義江明子, 相曽貴志編 東京堂出版 2003年
ISBN:4-490-10624-6 税込6,825円

内容は3部構成で、まず「第一部 儀式年中行事事典」で1~12月の年中行事と月中行事、臨時の行事、更に摂関家行事が解説されています。
“事典”という書名のとおり、行事名を項目として、それぞれの行事の由来や儀式の流れ、歴史的変遷などを記載しているのですが、ありがたいのは儀式書などの史料記述を噛み砕いて現代文に直した上で、逐一その記述がどの史料に拠っているか明記してあること。
史料と照らし合わせて読むことができるので、漢文の読解に自信のない人にも心強い解説文になっています。
勿論『古事類苑』の掲載箇所や関連する研究書も項目毎に掲載されていますので、より詳しく調べたいときの案内口としても役立ちます。

個人的に一番感激したのは「第二部 儀式書解題」
『西宮記』『江家次第』などの儀式書や『小右記』『御堂関白記』などの日記、『弘仁格式』『延喜式』などの法典その他、儀式・年中行事の研究に必須な史料約300点の解題が掲載されています。
実際、有職故実などの解説を読んでいると、見たことも聞いたこともない史料名にぶつかって「これっていつの時代に書かれたどういう本???」と戸惑うことが少なくないので、それぞれの史料の種類(日記なのか儀式書なのか記録文書なのか、など)や成立年代、著者、内容の概略などが解説されているのは本当に重宝します。
しかも、刊本がある史料については収録叢書名なども掲載されているので、わざわざ日本古典籍総合目録国文学研究資料館作成)を検索し直さなくても本文を探すことができ、とても便利です。

「第三部 用語解説」では、900語ほどの儀式・年中行事関係の用語の簡単な解説が載せられています。
1語につき4・5行ほどの解説ですので、第一部の記述の中でわからない言葉が出てきたときにちょっと参照する、というような使い方を想定しているのではないかと思います。

非常にユニークなのは、巻末の索引です。
最初に

難読事項を配慮して、本索引は通常の読み方をやめ、漢字の最も慣用的な読み方(音訓にかかわらず)の五十音順に配列した。

との注記があるとおりで、漢字を単純に仮名に直したときの五十音順で並んでいるのです。
その結果、「朝賀」「綾綺殿」「有職故実」などの語があ行にあったり「石清水」が「伊勢」より前になっていたりと、読みを知っていると逆にぎょっとするような配置も多々ありますが、これはこれでひとつの工夫ではあるでしょう。
「荷前(のさき)」や「御体御卜(おおみまのみうら)」のように知らなければ絶対に読めない行事名や、「供○○」を「○○をぐうす」と読むような独特の読み癖もありますので。
ただ、“最も慣用的な読み方”の基準がはっきりしないために首を傾げたくなる配列も散見され、「個々の漢字の音読み」というような形で読み方を統一した方が引きやすくなったのではないかな…とは思います。

既に法華八講(7)儀式次第で参考文献として掲載していましたが、この先頻繁に利用する資料になりそうです。
平安時代の儀式関係にご興味をお持ちの方は、是非大きな書店や図書館などで実物をご覧になってみてください。

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2007年5月 9日 (水)

中将光源氏の年齢

光源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、…」と始まる帚木巻からの三帖は、ご存知のとおり、光源氏の若き日の秘密の恋を口さがない女房が暴露する、という体裁で語られます。
前の桐壺巻とは内容的に直接つながっておらず、間に5年間の空白があるというのも、よく知られているとおりです。

ところで、現代の私達はごく当然のことのように帚木巻を“光源氏十七歳の夏の物語”として読んでいますが、帚木巻の中で源氏の年齢を記した箇所はどこにもありません。
これもよく知られていることですが、原文だけを追っていくと、桐壺巻で「十二にて御元服したまふ」と記された後、次に源氏の年齢が明らかになるのは第一部の一番最後、藤裏葉巻の「明けむ年、四十になりたまふ」という箇所です。
巻の内容を時系列順に並べた年立では、源氏の年齢が物語内の年数の基準になっていますが、実は帚木巻~藤裏葉巻の間の源氏の年齢というのはすべて藤裏葉巻からの逆算になっている訳です。
となると、年立や注釈などなく物語を読んだ筈の同時代の読者は、帚木巻の源氏を何歳くらいとイメージしたのでしょう?

戦後の一時期学界を賑わせた成立論が下火になり、今ある『源氏物語』五十四帖を完成したひとつの物語として読む立場が主流になっている現在、年立に依拠した読み方に疑問を差し挟む向きは特にないのか、注釈などでこうした点に触れたものは見当たりません。
ただ、戦前の古い論文で、
帚木巻が書かれた時点では、源氏の年齢設定は十七歳よりもっと上だった筈だ
と主張しているものを見つけました。
玉上琢弥氏の「源語成立攷―擱筆と下筆とについての一仮説」です。

玉上氏は、帚木巻の源氏の官職が中将であることから、

官位と年齢の関係を公卿補任によって調べるに、二十歳以下の中将は、永延二年道頼十八歳、永祥二年伊周十七歳の何れも右近権中将、永観元年公任十八歳の左近権中将、これらが二十以下の中将の最も早い所である様である。

と指摘しています。
その上で、物語の仮構であろうとの反論が出ることを先回りして

これに対し物語故幾らも仮作できると言ふのは、あの時代の人々の官位昇進に対する神経を無視するものである。

と述べておられるのですが、そうは言ってもやはり、歴史に準拠しつつ時折歴史上に例のない事柄も混ぜ込んでくる(例えば、桐壺巻で源氏が元服後も桐壺を曹司とし、母更衣に仕えた女房達をそのまま留め置く件)のが『源氏物語』ですから、必ずしも史実に忠実に源氏が二十代に設定されたとは限らない気がします。

それよりも私が興味を引かれたのは、十代の中将が出現する最初期にしかも最年少の十七歳で任官したのが、紫式部と同時代に栄華と凋落を生きた藤原伊周だという点です。
伊周の経歴を改めて確認してみると、元服こそ十六歳ですが十二歳で叙爵し、侍従・左兵衛佐・左近少将・蔵人を歴任、十七歳で右中将に補任されています。
伊周が父・道隆の意向により異常な速さで昇進し、周囲の反感を買ったことは有名な話で、速すぎる昇進はある種の不安定さを伴います。
その不安定さを、父帝の異例の厚遇の下にあって右大臣方に目の敵にされているであろう光源氏の状況と重ねてみたくなるのは、私の単なる空想でしょうか。

帚木巻の源氏の年齢を、藤原伊周を下敷きに十七歳で設定されていたのではないか…と私が想像する根拠(?)は、「中将などにものしたまひし時」と並んで年齢を推測させる描写「忍ぶの乱れやと、疑ひきこゆることもありしかど」にあります。
忍ぶの乱れ」は言うまでもなく『伊勢物語』初段を踏まえた表現ですが、『伊勢物語』初段といえば“初冠した昔男が美しい姉妹を垣間見て心惹かれ、歌を詠みかける”という内容な訳で、大人の仲間入りを果たしたばかりの若者の恋の目覚めを描いたお話と言えます。
平安中期の元服の年齢は大体十三~十七歳。
結婚当初「大殿に二三日など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なく思しなして」(桐壺巻)という扱いだった十二歳から成長して「忍ぶの乱れ」を疑われるようになる年齢としては、適当なところではないでしょうか。
逆にもし源氏が二十歳を越えたいい大人だったら、その恋を「忍ぶの乱れ」と表現するには些か薹が立ちすぎてしまっていると思います。
忍ぶの乱れやと、疑ひきこゆ」という表現は、幼くして元服した源氏が年齢的にもようやく大人扱いできるところまで追いついてきたことを示しているのではないかと思うのです。

忍ぶの乱れ」を疑われるくらいの、やっと一人前になった程度の若さで、異例の中将という顕職にあるアンバランスさ。
帚木巻の源氏の十七歳という年齢は、単に年立上で逆算した結果の数字として受け取るのではなく、帚木巻の本文そのものからも想定し得るものとして、積極的に位置づけてみてもよいのではないかと思う次第です。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
山中裕, 鈴木一雄編集『平安時代の儀礼と歳事』至文堂 1994年
玉上琢弥「源語成立攷―擱筆と下筆とについての一仮説」(「国語国文」10巻4号 1940年 pp.1-85)
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース

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2007年5月 3日 (木)

『源氏物語の鑑賞と基礎知識』

120kanshokiso 『源氏物語』の副読本は数え切れないほど沢山ありますが、その中で今回は、原文をじっくりと読みたい方にお薦めのシリーズをご紹介いたします。

『源氏物語の鑑賞と基礎知識』全43冊
鈴木一雄監修(国文学解釈と鑑賞別冊) 至文堂 1998-2005年
ISBN:増補改装版を除きなし 税込各2,520円(増補改装版は税込2,835円)

写真はNo.1「桐壺」の増補改装版です。

基本的にひとつの巻を1冊で取り上げますが、長編の若菜上下巻と宿木巻はそれぞれ2分冊で、玉鬘十帖などの比較的短い巻は二・三巻まとめた形になっているため、全43冊というちょっと中途半端な数字になっています。
各冊の目次は、以下のとおりです。

  • 序文
  • 人物紹介
  • 源氏ゆかりの地を訪ねて
  • 影印本を読む
  • 原文
  • 論文

“鑑賞と基礎知識”というシリーズタイトルのとおり、原文が本の中心です。
見開きページの右ページ上に原文、右ページ下に現代語訳、左ページ上に鑑賞と用語解説、左ページ下に語句解釈、という構成になっていて、ときどき補助論文として2ページ前後のより詳しい解説が挟まれています。
No.1「桐壺」を例に取ると、

  • 最初の見開き2ページ
    冒頭の原文と、それに対応した「めざまし」「あいなく」の用語解説
  • 次の見開き2ページ
    「いづれの御時にか―物語の時代設定①」
    「平安時代のことば―格助詞「が」から接続助詞「が」へ」
    「物語とは」
    の3つの補助論文
  • 次の見開き2ページ
    3ページ前を受けて原文の続き

…という形で展開しています。

この補助論文がこのシリーズの大きな特徴で、特定の描写・人物・語彙などをより掘り下げた読解や歴史的背景の解説、漢字の訓み方、会話文と地の文との切り分けや発話者の解釈の問題、更には源氏絵や工芸意匠の鑑賞など、幅広いテーマで1冊につき20本以上が収められています。
コンパクトな量で基本的な内容がきっちりとまとめられているので、私はこのBlogの記事を書く際にもよく参考にしています(各記事末尾の【参考文献】で挙げているとおりです)。

もうひとつ特徴的なのが「源氏ゆかりの地を訪ねて」。
その名のとおり、その巻の舞台となる土地や関連する場所を紹介するという、ありがちと言えばありがちな企画ですが、テーマ設定がなかなかユニークなのです。
「桐壺」で平安宮大内裏、「玉鬘」で九州、「橋姫」で宇治、…などというのは誰でも考えそうなものですけれど、「常夏・篝火・野分」では近江の君の早口の元凶?の大徳が属した妙法寺、「梅枝・藤裏葉」では源氏に唐物を献じる大宰大弐に絡めて大宰府・鴻臚舘、「柏木」では柏木の加持祈祷のために致仕大臣が招いた行者の修行地・和泉葛城山、といった具合に、「そう来たか!」と思わず膝を打ちたくなるような切り口で、予想外の場所もあちこち取り上げられています。
カラー写真が豊富に織り込まれているので見ているだけで楽しいですし、地図や住所などのデータも付いているので、実際にその場所を訪ねてみるのも一興です。
ちょっとした平安時代の史跡巡りが楽しめます。

「論文」の項では、その巻に関する代表的な論文や読解の手助けとなる書き下ろし論文などを各冊5・6本掲載しています。
“論文”というといかにも難しそうで、実際のところ難解なものも確かに含まれてはいるのですが、一般人があまり触れる機会のない『源氏物語』研究の一端を知ることができると同時に、さまざまな観点から『源氏物語』を扱った論文が収録されているので、ごく普通に原文なり現代語訳なりを読むのとは違った着眼点での読み方を発見できる面白さもあります。

正直に言って、合計の冊数と金額を考えると手を出すのが些か躊躇われるシリーズではありますが、文庫本や文学全集などに付いている注釈よりもう1歩踏み込んで原文を読んでみたいとお考えの方には、ちょうど程よい内容と構成になっていると思います。
現時点では、No.3「若菜上(前半)」以外は出版社に在庫があるそうで、至文堂Webサイトまたは書店を通して購入が可能です。

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