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2007年5月 9日 (水)

中将光源氏の年齢

光源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、…」と始まる帚木巻からの三帖は、ご存知のとおり、光源氏の若き日の秘密の恋を口さがない女房が暴露する、という体裁で語られます。
前の桐壺巻とは内容的に直接つながっておらず、間に5年間の空白があるというのも、よく知られているとおりです。

ところで、現代の私達はごく当然のことのように帚木巻を“光源氏十七歳の夏の物語”として読んでいますが、帚木巻の中で源氏の年齢を記した箇所はどこにもありません。
これもよく知られていることですが、原文だけを追っていくと、桐壺巻で「十二にて御元服したまふ」と記された後、次に源氏の年齢が明らかになるのは第一部の一番最後、藤裏葉巻の「明けむ年、四十になりたまふ」という箇所です。
巻の内容を時系列順に並べた年立では、源氏の年齢が物語内の年数の基準になっていますが、実は帚木巻~藤裏葉巻の間の源氏の年齢というのはすべて藤裏葉巻からの逆算になっている訳です。
となると、年立や注釈などなく物語を読んだ筈の同時代の読者は、帚木巻の源氏を何歳くらいとイメージしたのでしょう?

戦後の一時期学界を賑わせた成立論が下火になり、今ある『源氏物語』五十四帖を完成したひとつの物語として読む立場が主流になっている現在、年立に依拠した読み方に疑問を差し挟む向きは特にないのか、注釈などでこうした点に触れたものは見当たりません。
ただ、戦前の古い論文で、
帚木巻が書かれた時点では、源氏の年齢設定は十七歳よりもっと上だった筈だ
と主張しているものを見つけました。
玉上琢弥氏の「源語成立攷―擱筆と下筆とについての一仮説」です。

玉上氏は、帚木巻の源氏の官職が中将であることから、

官位と年齢の関係を公卿補任によって調べるに、二十歳以下の中将は、永延二年道頼十八歳、永祥二年伊周十七歳の何れも右近権中将、永観元年公任十八歳の左近権中将、これらが二十以下の中将の最も早い所である様である。

と指摘しています。
その上で、物語の仮構であろうとの反論が出ることを先回りして

これに対し物語故幾らも仮作できると言ふのは、あの時代の人々の官位昇進に対する神経を無視するものである。

と述べておられるのですが、そうは言ってもやはり、歴史に準拠しつつ時折歴史上に例のない事柄も混ぜ込んでくる(例えば、桐壺巻で源氏が元服後も桐壺を曹司とし、母更衣に仕えた女房達をそのまま留め置く件)のが『源氏物語』ですから、必ずしも史実に忠実に源氏が二十代に設定されたとは限らない気がします。

それよりも私が興味を引かれたのは、十代の中将が出現する最初期にしかも最年少の十七歳で任官したのが、紫式部と同時代に栄華と凋落を生きた藤原伊周だという点です。
伊周の経歴を改めて確認してみると、元服こそ十六歳ですが十二歳で叙爵し、侍従・左兵衛佐・左近少将・蔵人を歴任、十七歳で右中将に補任されています。
伊周が父・道隆の意向により異常な速さで昇進し、周囲の反感を買ったことは有名な話で、速すぎる昇進はある種の不安定さを伴います。
その不安定さを、父帝の異例の厚遇の下にあって右大臣方に目の敵にされているであろう光源氏の状況と重ねてみたくなるのは、私の単なる空想でしょうか。

帚木巻の源氏の年齢を、藤原伊周を下敷きに十七歳で設定されていたのではないか…と私が想像する根拠(?)は、「中将などにものしたまひし時」と並んで年齢を推測させる描写「忍ぶの乱れやと、疑ひきこゆることもありしかど」にあります。
忍ぶの乱れ」は言うまでもなく『伊勢物語』初段を踏まえた表現ですが、『伊勢物語』初段といえば“初冠した昔男が美しい姉妹を垣間見て心惹かれ、歌を詠みかける”という内容な訳で、大人の仲間入りを果たしたばかりの若者の恋の目覚めを描いたお話と言えます。
平安中期の元服の年齢は大体十三~十七歳。
結婚当初「大殿に二三日など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なく思しなして」(桐壺巻)という扱いだった十二歳から成長して「忍ぶの乱れ」を疑われるようになる年齢としては、適当なところではないでしょうか。
逆にもし源氏が二十歳を越えたいい大人だったら、その恋を「忍ぶの乱れ」と表現するには些か薹が立ちすぎてしまっていると思います。
忍ぶの乱れやと、疑ひきこゆ」という表現は、幼くして元服した源氏が年齢的にもようやく大人扱いできるところまで追いついてきたことを示しているのではないかと思うのです。

忍ぶの乱れ」を疑われるくらいの、やっと一人前になった程度の若さで、異例の中将という顕職にあるアンバランスさ。
帚木巻の源氏の十七歳という年齢は、単に年立上で逆算した結果の数字として受け取るのではなく、帚木巻の本文そのものからも想定し得るものとして、積極的に位置づけてみてもよいのではないかと思う次第です。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
山中裕, 鈴木一雄編集『平安時代の儀礼と歳事』至文堂 1994年
玉上琢弥「源語成立攷―擱筆と下筆とについての一仮説」(「国語国文」10巻4号 1940年 pp.1-85)
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース

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