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2007年8月21日 (火)

下襲(1)裾の長さ

156shitagasane_1 下襲は、束帯装束において袍または半臂の下に着る垂領(たりくび)の内衣です。
両脇は縫わない闕腋で、丈は前身頃が腰の辺りまで、後身頃は長く伸ばして引きずります。
後身頃の長く伸びた部分を「(きょ)」または「」と呼びました。
材質や裾の長さには身分に応じた定めがありましたが、位袍のような厳しい制約はなく色目などは自由が利き、また特に文官束帯装束では袍の下から裾がはみ出す形になるため、束帯装束における重要な装飾的役割を担いました。
(写真は、風俗博物館2005年下半期展示「六条院行幸」より高欄に掛けられた下襲の裾。手前は龍頭鷁首の舟に乗った迦陵頻の舞童達)

裾の長さは、制約の緩さと目立ちやすさのゆえに、淳和朝頃までは身丈程度だったのが華美を競って次第に長くなっていき、目に余ると過差禁止令により制限される、ということを繰り返しました。
『政治要略』巻六十七所引の『李部王記』逸文には

近日有被定行倹約事、(中略)就中下襲長、親王出袍襴一尺五寸、大臣一尺、納言八寸、参議六寸、公卿節会日得用綾(天暦元[947]年十一月十七日条)

とあり、特に下襲の過差が目立つとして倹約令でその長さと材質が定められたことが知られます。
このときの長さは、一番長い親王でも少々床に引きずる程度です。
しかしこの後も下襲の長大化は止まらず、『玉英記抄』(一条経通の日記『玉英』を一条兼良が抄出した有職故実書)「衣服」の項に、

為限裾長守延久二年符宣為大臣七尺大中納言六尺参議散三位五尺四位五位四尺(建武元年九月七日 宣旨)

と記されているように、延久二[1070]年に再び身分毎の長さが規定されました。
120年ほどの間に軒並み長さが7~8倍に伸びているのには驚かされます。
更に時代が下って鎌倉時代に入ると、一層丈が伸びた上に寸法の規定自体よくわからなくなり、

仮令。大臣一丈四五尺。大納言一丈二三尺。中納言一丈一二尺。参議八尺。四位七尺歟。但近年無存寸法之人。(『餝抄』上)

という状態に至ります。
『餝抄』の成立は嘉禎年間[1235-1238]と推定されていますので、延久二[1070]年の符宣からおよそ170年弱後の記述ということになりますが、この頃には延久二[1070]年の規定の約2倍、天暦元[947]年の規定の実に15倍前後にも及んでいた訳です。

『源氏物語』の書かれた頃の下襲の裾の長さはよくわかりませんが、

桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて。皆人は表の衣なるに、あざれたる大君姿のなまめきたるにて(花宴巻:右大臣家の藤花の宴に招かれた光源氏の装い)

葡萄染の御指貫、桜の下襲、いと長うは尻引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし(行幸巻:大宮を訪ねる内大臣の装い)

といった描写から、やはり長々と裾を引きずっていることがわかり、その様がいかにも悠然たる高貴の人の姿に見えたのだろうと想像できます。
『枕草子』にも「弁などは、いとをかしき官に思ひたれど、下襲の裾短くて、随身のなきぞ、いとわろきや」(第四五段「をのこは」)という一文があり、やはり長く引く裾が憧れの眼差しで見られていた様子が窺われます。

157shitagasane_2 これだけ裾が長くなると立居振舞に支障を来たすため、座るときは折り畳むか高欄に掛ける、屋外を歩くときは人に持たせたり石帯の上手や剣に引き掛けたりする、などの作法が生じました。
下襲を高欄に掛けた様子は『駒競行幸絵巻』や『源氏物語絵巻』鈴虫(二)などに描かれている他、『枕草子』の

五位、六位などの、下襲の裾はさみて、笏のいと白きに扇うち置きなど、行き違い、(第五七段「よき家の中門あけて」)

狭き縁に、所狭き御装束の下襲ひき散らされたり。(第一〇〇段「淑景舎、春宮にまゐりたまふほどのことなど」)

といった記述からも、立居の動作における下襲の扱いが見て取れます。
(写真は、風俗博物館2004年上半期展示「玉鬘による光源氏四十の賀」より、賀宴に列席した布袴姿の柏木〔左〕と直衣下襲姿の式部卿宮〔右〕)

このように長大化した下襲ですが、一方で検非違使など実働部隊の武官は機動性を確保するために「纔著(さいじゃく)」と呼ばれる足首くらいまでの丈の袍と下襲を着用しました。
例えば『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸」を見ると、鳳輿を取り囲む闕腋袍を着た武官とその左右に控える縫腋袍を着た文官では、明らかに下襲の長さが違っているのがわかります。
(但し、三位以上は武官であっても縫腋袍を着用するので、図の中には胡簶を背負い下襲を長く引いた人物の姿も見られます)

尚、現代の束帯装束では「別裾」と言って下襲本体と裾を切り離し、裾を女房装束の裳のように腰に結び付けますが、このような形式になったのは長大化が進み着装が難しくなった鎌倉時代以降のことです。

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
五島邦治監修;風俗博物館編集『源氏物語と京都:六條院へ出かけよう』光村推古書院 2005年
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の信仰と生活』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年
小松茂美編集・解説『年中行事絵巻』(日本の絵巻 8)中央公論社 1987年
あかね会編『平安朝服飾百科辞典』講談社 1975年
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース

※この記事は、小池笑芭さんのWebサイト「源氏の部屋」に掲載していただいている「下襲」を加筆修正したものです。

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