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2007年10月13日 (土)

髪削(かみそぎ)

170kamisogi_1 平安時代の子供には、生まれてから成人するまでの間に何度か髪にまつわる通過儀礼がありました。
まず、生まれて7日前後で胎髪を剃る「産剃」があり、それから約2年間は男女を問わず坊主頭で過ごします。
数え三歳を迎えた頃から髪を伸ばし始め(これを「髪置(かみおき)」と呼びます)、その後四・五歳で伸ばした髪の裾を切り揃える「髪削(「髪剃」とも)」という儀式を行いました。
特に初めて髪を切る儀式を指す場合もありますが、最初の儀式を行ってから成人式である元服・裳着を迎えるまで年に数回同じような儀式を繰り返し、こちらも同様に「髪削」と呼びました。
初めて髪を削いだ後は、毛先を整えながら次第に髪を伸ばし、六・七歳頃からは頭の天辺から左右に分けた振分髪(ふりわけがみ)にします。
男の子の場合は、更に髪が伸びると角髪(みずら)に結いました。
そして最後に元服・裳着で男の子は髷を結って冠を被り、女の子は髪上をして大人の仲間入りを果たします。

古来、髪や爪は身体から切り離されても元の身体とのつながりを保つと考えられたこともあり、髪削は吉日吉事を選んで執り行われました。
時代は下りますが『拾芥抄』(14世紀初頭成立と推定される百科全書。洞院公賢撰)「諸事吉凶日部」には「髪曾木日事」として「凡酉丑日為吉」(凡そ酉丑の日を吉と為す)と記されており、また『源氏物語』葵巻でも、祭見物の前に紫の君の髪削を思い立った源氏が「今日は、吉き日ならむかし」と言って暦博士に吉時を調べさせる描写があります。
(賀茂祭は四月の中の酉の日ですから、源氏の言葉は『拾芥抄』の示す髪削の吉日と一致しています)

儀式次第は、平安中期にはまだ完全に定型化していなかったようですが、12世紀に入るとその様子が『殿暦』や『長秋記』などに記録されるようになります。
それらの史料から儀式の概略をまとめますと、以下のようになります。

171kamisogi_2 まず、髪を削ぐ役目の人が手を洗うための角盥と、削いだ髪を入れる受け箱、髪を削がれる子供が乗る碁盤を用意します。
角盥の中には、吉方から汲んできた水と、同じく吉方の石、山菅(ユリ科ヤブラン属の常緑多年草・ヤブランのこと。耐陰性が強く生育旺盛)、山橘(ヤブコウジ科ヤブコウジ属の常緑低木・ヤブコウジのこと。地下茎で増え群生する性質をもつ)などを入れます。
これらにはそれぞれ意味があって、石には長い年月を経ても変わらない強硬な性質に、山菅にはその繁殖力に、山橘には寒さや霜に負けぬ緑に、それぞれあやかって長寿と健康、そして髪が豊かに育つようにとの願いを込めました。
受け箱は手箱の蓋を用い、内側に檀紙を敷き、櫛1枚を入れます。
子供が碁盤に乗るのは、毛先の位置を高くして切りやすくするためでしょうが、碁盤を用いることに何か特別な意味があるのかはわかりません。
吉時を待って儀式を開始し、髪を削ぐ役目の人の前に碁盤を据えて子供が吉方を向いてその上に立ち、髪削ぎ役は介添役から鋏を受け取って髪を切り揃えます。
(「削」「剃」の漢字から、なんとなく剃刀のような刃物で毛先を切り落とすイメージを持ちますが、室町時代まで剃刀は専ら僧侶の剃髪用具で、髪を整えるのにはU字型の鋏を用いました。
また『長秋記』天永二[1111]年十二月四日条の鳥羽天皇髪削の記事の中には「御夾」の語が見え、「」は「鋏」の意かと推測されています。
また、写真を掲載した風俗博物館の展示では紫の君は碁盤の上に座っていますが、これはスタッフの方によると、人形を立たせた状態だと収まりが悪かったために展示栄えを優先して敢えて史実とは異なる形にしたとのお話でした)

髪を削ぐ役は、一族の尊者が務めたようです。
『栄花物語』巻第三十四「暮まつほし」に記された長暦元[1037]年の章子・馨子両内親王(後一条天皇皇女)の髪削ぎの場合は、父母双方の縁戚であり氏長者である藤原頼通が、『長秋記』長承三[1134]年十二月五日に記録された統子内親王及び雅仁・本仁両親王(鳥羽上皇皇子女)の場合は、鳥羽准母の太皇太后令子内親王が、それぞれ髪を削いでいます。
また『殿暦』が記す天仁二[1109]年~天永二[1111]年の鳥羽天皇の髪削の例のように、摂政がその任に当たることもありました。
こうした例を踏まえると、『源氏物語』葵巻で源氏が「君の御髪は、我削がむ」と手ずから紫の君の髪を削ぎ、「千尋」と祝いの言葉をかける様子に少納言の乳母が「あはれにかたじけなし」と感動するのも頷けます。

『源氏物語』の中で髪削が描かれるのは、葵巻の紫の君の例だけで、他の作品にもあまり例はありません。
五十日・百日や袴着、元服・裳着などの1回限りの通過儀礼に比べると、まだこの時期には殊に重要な儀式として特別視はされていなかったのかもしれません。
裏を返せば、葵巻で祭見物に先立って敢えて紫の君の髪削の場面が挿入されたのには、成人女性である葵の上と六条御息所との間に挟まれた閉塞状態から一時解放された源氏とまだ無垢な成長途上の紫の君との明るく末永い将来を予祝する意味が込められていた…と読み取ることもできるでしょう。

尚、これは中世以降のことになりますが、初めて髪を削ぐことを特に「深曾木(ふかそぎ)」と称し、年齢も五歳に固定されるようになりました。
更に、武家社会に取り込まれる過程で同じく五歳の通過儀礼となった袴着と混交し、袴着の際に子供が碁盤の上に乗って鴨川の石を踏みしめ、碁盤から飛び降りるという形が出来上がります。
これが皇室で現代まで続いている「着袴の儀」のルーツです。
それと同時に、現代の数少ない通過儀礼とも言える七五三の「五」の部分の源泉でもあります。
現代とは無関係な1000年前の習慣かと思いきや、変遷を経ながら現代までつながっている通過儀礼です。
(写真はいずれも風俗博物館2005年上半期「紫の君の髪削ぎ」より、碁盤の上に乗った紫の君と、その髪を削ぐ光源氏、介添役の女房)

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
宮崎荘平編集『源氏物語の観賞と基礎知識9 葵』至文堂 2000年
小学館「大辞泉」編集部編集『大辞泉』増補・新装版 小学館 1998年
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
中野幸一編『常用源氏物語要覧』武蔵野書院 1995年
加藤理著『「ちご」と「わらは」の生活史 : 日本の中古の子どもたち』慶応通信 1994年
『日本大百科全書』小学館 1984-1994年
神宮司廳編『古事類苑 禮式部一』普及版 古事類苑刊行會 1932年
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース

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