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2007年11月11日 (日)

長谷寺

172hasedera_1 大和国城上郡(現在の奈良県桜井市初瀬)に位置する長谷寺は、聖武天皇の勅願によって安置されたと伝わる十一面観世音菩薩像を本尊とし、平安京から直線距離にして50km以上(『源氏物語の鑑賞と基礎知識12 玉鬘』によれば旅の行程は約72km)離れているにもかかわらず、霊験あらたかな観音霊場として都の貴族達が盛んに参詣しました。
『源氏物語』の書かれた一条朝の頃を見ると、円融院・東三条女院詮子による御幸をはじめ、藤原道長や藤原実資、藤原頼通、隆姫女王、藤原教通などの参詣が見つかります。
現世利益・後世救済を齎すとする観音菩薩への信仰は女性の間にも広く浸透したことから、石山寺と同じく女性の参詣が盛んで、『蜻蛉日記』『更級日記』の初瀬詣の記述は有名ですし、『枕草子』の記述から清少納言も一度ならず長谷寺に詣でたことがわかります。
脛を布の端して引きめぐらかしたる者ども、ありき違い騒ぐめり」(『蜻蛉日記』安和元[968]年九月)
蓑虫などのやうなる者ども、集りて、立ち居、額づきなどして」(『枕草子』一本二十七「初瀬に詣でて」)
といった記述も見られ、貴族に限らず民衆も数多く参詣し非常に賑わっていたことが窺われます。

173hasedera_2 『源氏物語』にもそうした初瀬詣の盛行が反映されており、実際に参詣の様子が描かれる巻こそ玉鬘巻のみですが、この場面では各地からの参拝者でごった返す長谷寺の賑わいが活写されており、また宇治十帖では初瀬詣を背景とした物語の展開が繰り返し現われます。
まず椎本巻冒頭には匂宮が初瀬詣の帰路に宇治で中宿りをする場面があり、ここから中の君と匂宮との交渉が始まりますし、宿木巻では浮舟が僅か3ヶ月ほどの間に2度も参詣したことが語られ、この2度目の初瀬詣の中宿りで宇治の山荘に立ち寄った折に、薫にその姿を見られることになります。
更に、進退窮まって山荘を抜け出した浮舟が横川の僧都に助けられる手習巻冒頭の場面も、僧都が山を下りて宇治へやってきた理由は初瀬詣から戻る途中の母大尼君の急病でしたし、小野に引き取られた浮舟が出家を果たすのも、小野の妹尼が亡き娘の代わりに浮舟を得たお礼参りにと再度初瀬へ赴いた留守中のことでした。
また
仏の御なかには、初瀬なむ、日の本のうちには、あらたなる験現したまふと、唐土にだに聞こえあむなり」(玉鬘巻:豊後介)
さりとも、初瀬の観音おはしませば、あはれと思ひきこえたまふらむ」(東屋巻:浮舟の乳母)
といった登場人物達の発言からも、当時の長谷観音の霊験に対する信仰と期待の深さが見て取れます。

都から長谷寺までの道のりは、片道3~4日もかかる長旅でした。
『蜻蛉日記』安和元[968]年九月の参詣を例に取ると、暁に都を出立して宇治川・木津川を渡り、3日目に椿市(現在の奈良県桜井市金屋)着、その日は椿市に宿泊し、4日目に寺に入っています。
『更級日記』永承元[1046]年十月の参詣も同様に暁に都を発ち、宇治川を渡り栗駒山を越え、途中東大寺・石上神宮にも参拝しながら3日目の夜に寺に到着しました。
どちらの場合も牛車での旅であることを考えると、玉鬘一行が徒歩で「四日といふ巳の時ばかり」即ち4日目のお昼前に椿市に辿り着いているのは、かなりの強行軍だったと言えそうです。
椿市から長谷寺までは4kmほどですから、日頃は自分の足で歩き回ることなどほとんどない平安時代の姫君が3.5日で山越えを含む68kmもの行程を歩いた計算になり、「生ける心地もせで」(玉鬘巻)というのも頷けます。

174hasedera_3 175hasedera_4 長谷寺は初瀬川の北岸、初瀬山の山腹にあり、川沿いの参道から石段を上って仁王門をくぐり、更に399段もある登廊(のぼりろう)を上って本堂に至ります。
長旅の末に山を登っての参詣は、外出する機会の少ない女性にとっては心身共に相当に堪えたようで、
雨や風、猶やまず。火ともしたれど、吹き消ちて、いみじく暗ければ、夢の道の心ちして、いとゆゝしく、いかなるにかとまで思ひまどふ。(中略)御堂に物する程に、心ちわりなし。おぼろけに思ふこと多かれど、かくわりなきに物おぼえずなりにたるべし」(『蜻蛉日記』天禄二[971]年七月)
いみじき心おこしてまゐりしに、川の音などの恐ろしう、呉階をのぼるほどなど、おぼろけならず極じて」(『枕草子』一本二十七「初瀬に詣でて」)
といった記述が見られます。
清少納言の書いた「呉階」はこの登廊のことと思われますが、登廊が初めて建てられたのは長暦三[1039]年のことと言います。
では登廊建立以前はというと、「古い参道は、東の谷の二本(ふたもと)の杉辺りから椙坂の急坂を登ったもの」(『奈良県の地名』)だそうで、現在も東参道の途中に二本の杉が植わっています。
この杉のことは、参籠を終えた右近が玉鬘に詠みかけた歌
二本の杉のたちどを尋ねずは古川野辺に君を見ましや」(玉鬘巻)
の中に詠み込まれていますが、彼女達が本堂に上る際に通ったのはどちらの道だったのでしょうか。

長谷寺は度々火災に見舞われているため、現在ある建物の大半は江戸~昭和に再建されたもので、ご本尊も室町時代の再造です。
そのため平安時代の寺院の様子を窺い知る術はほとんど残されていませんが、長い登廊を上りきって本堂に入り、高さ10mを越す大きなご本尊の立ち姿を見上げると、平安時代の女性達の苦労とは比べ物にならないながらも、仏様の前に辿り着いた安堵感に包まれます。
形あるものは姿を変えても、今尚ご本尊の霊験に与ろうと山を登った人々の思いを偲ばせる、山と川に抱かれたお寺です。

写真は上から順に、

  • 石段から見上げた仁王門
  • 現代も変わらず多くの参拝客が上ってゆく登廊
  • 礼堂の外舞台から見た礼堂とその奥の本堂内陣
  • 外舞台から見下ろした仁王門(写真中央)と登廊

です。すべて2007年11月撮影。

【Data】
住所:奈良県桜井市初瀬731-1
交通:近鉄大阪線長谷寺駅下車徒歩20分
拝観:受付時間8:30~17:00(10~3月は9:00~16:30)拝観料500円
tel.:0744-47-7001

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
平田喜信編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識12 玉鬘』至文堂 2000年
山中裕, 鈴木一雄編集『平安時代の信仰と生活』至文堂 1994年
平凡社編『奈良県の地名』(日本歴史地名大系30)平凡社 1981年
奈良・総本山 長谷寺(公式ホームページ)
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース
東京大学史料編纂所作成「大日本史料総合データベース

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