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2007年11月23日 (金)

「階」か「橋」か~『枕草子』能因本「黒木のはし」の正体~

1年ほど前から、『源氏物語』の中にも登場する平安時代のバラ「薔薇(さうび)」の種類を調べています。
このテーマはまだまだ調査継続中で、記事にできるほどまとまってきてはいないのですが、調べていく中で繰り返し出会った、気になる文章があります。
『枕草子』能因本の「草の花は」の段(小学館『日本古典文学全集』では第七〇段に相当)にある、

さうびは、ちかくて、枝のさまなどはむつかしけれど、をかし。雨など晴れゆきたる水のつら、黒木のはしなどのつらに、乱れ咲きたる夕映え。

という記述です。
近年底本にされることの多い三巻本をはじめとする他の系統の写本にはない文章のため、間違いなく清少納言の手による記述とは言い切れない危うさもあるのですが、何分にも平安時代の文献で「薔薇」のことを書き記したものは非常に少ないためか、「薔薇」について述べた論文などには必ずと言っていいほど引用されています。

『枕草子』や『源氏物語』が書かれた当時、「薔薇」と言えば白居易の漢詩の一節

甕頭竹葉経春熟。階底薔薇入夏開。(甕頭の竹葉春を経て熟し、階底の薔薇夏に入りて開く。)
(「薔薇正開。春酒初熟。因招劉十九・張大夫・崔二十四同飲」第一・二句)

が大変に有名で、『和漢朗詠集』にも「首夏」の題で採録されるなど平安貴族に愛唱され、広く知れ渡っていました。
平安中期以降、白詩が公家の間で絶大な人気を誇り、文学作品にも多大な影響を与えたことはよく知られていますが、この詩句もその例に漏れず、
階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、」(『源氏物語』賢木巻)
甕のほとりの竹葉も末の世はるかに見え、階の下の薔薇も夏を待ち顔になどして、」(『栄花物語』巻第十一「つぼみ花」)
立石、遣水底浄、汀ニ生ル杜若、階ノ本ノ薔薇モ折知ガホニ開ケタリ。」(『源平盛衰記』巻十一「経俊入布引滝事」)
のような表現が生まれました。
また、『永昌記』(白河院政期の公卿・藤原為隆の日記)や『明月記』(藤原定家の日記)にはこの詩句をモチーフにしたと思しき牛車や衣裳の装飾の記録が見られ、人々の間に深く浸透していた様子が窺われます。

こうした事情を踏まえてなのでしょう、私が目にした文献はどれも『枕草子』能因本の「薔薇」の描写もこの詩句に拠ったものと判断し、「黒木のはし」を「黒木の階(きざはし)」と解釈していました。
その上で、例えば
「白詩以来「階」のもとに咲く薔薇というイメージは固有のものとなっていた」(沼尻利通氏「「階の底の薔薇」と光源氏」)
「当時の貴族たちはこと「さうび」に関しては、揃ってこの「階底薔薇」を下敷きにする」(吉田加奈子氏「薔薇の受容変化」)
といった評価を下しています。
しかし、「黒木のはし」は本当に階なのでしょうか?

疑問に思った理由は、「黒木の」という形容にあります。
平安時代に「黒木」と言うと、意味は通常“皮を剥いでいない丸太のままの材木”です。
古典好き・歴史好きの方にとっては、『源氏物語』賢木巻にも登場する野の宮の黒木の鳥居でお馴染みでしょう。
でも、この文の「黒木」がその意味だとしたら、丸太のままの状態でどうやって階段にするのでしょう?
現存する建築物であれ絵巻などの絵画資料であれ、曲面になっている階など見たことがありませんし、円柱状では材木同士を組み合わせても極めて不安定で、実用性を考えればあり得ないと言ってしまってよいと思います。

『日本国語大辞典』を引くと、「黒木」の語は黒檀の別名としても使われたことが記されています。
ただし、黒檀の意味とする「黒木」の最初の用例として載っているのは『源氏物語』河内本の文で、また同じ『日本国語大辞典』の「黒檀」の項には、『和名抄』に載る「黒柿」が古来の黒檀の和名ではないかとの推測も記されており、平安中期に「黒木」が黒檀の意味で用いられたかどうかは定かではありません。
それに、黒檀は日本国内では産出せず、南方から輸入されて楽器や調度品などに使われた木材です。
現代でも黒檀製の家具は高級品ですが、海外からの舶載品が珍重された1000年前の黒檀の価値は、現代の比ではなかった筈です。
そのような貴重な木材を、大型の角材を多量に必要とする階に使ったとはちょっと考えられません。

では、ここに記された「黒木のはし」とは何なのか。
それは、「皮を剥いでいない丸太のままの木材でできた橋」なのではないでしょうか。
当時の寝殿造庭園には、遣水を跨ぎ越す橋や池の中島へ渡る橋などがありました。
そうした庭の橋なら、素朴な風情を出すために敢えて丸太のままこしらえた橋があっても不自然ではありません。
黒木のはし」の前に提示されている情景が「水のつら」、つまり池や遣水のような水のほとりである点からも、階よりも橋と考えた方が相応しく思われます。

そもそも「階底薔薇」の詩句を踏襲したにしては、『枕草子』能因本の「薔薇」の描写は、雨上がり・水辺・夕暮れ時…と、白詩とは異なる情景の設定がいくつもされています。
他の作品のように「はしのもと」ではなく「はしなどのつら」であるところも、違うと言えば違う点です。
こうした独自の表現を、単なる白詩のアレンジと解釈してしまってよいのでしょうか。
私には、有名な詩句に基づいた観念的な表現などではなく、筆者が実際に見て心に留まった具体的な情景の描写であるように思えてなりません。

沼尻氏が上記論文の中で指摘しておられるように、『源氏物語』賢木巻の「階のもとの薔薇」の一節は、河内本系の諸本と別本の国冬本・伝冷泉為相本では「くろきのはしの」と書かれています。
賢木巻のこの場面は漢詩や和歌・催馬楽などの表現が重層して用いられていて、白詩もその中に取り込まれていると考えるべきなだけに、「黒木の階」が本当にあり得るのか、再度検討する必要があるのは確かです。
ですが、少なくとも『枕草子』能因本のこの記述に関しては、“「薔薇」と「はし」が並んで出てきたら白詩の踏襲に決まっている”というような読み方に、ささやかながら疑問を呈してみたい次第です。

【参考文献】
沼尻利通「「階の底の薔薇」と光源氏」(「中古文学」73号 2004年 pp.13-24)
吉田加奈子「薔薇の受容変化―平安から鎌倉初期の「薔薇」―」(「服飾美学」37号 2003年 pp.33-48)
日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典』第2版 小学館 2000-2002年
中野幸一編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識10 賢木』至文堂 2000年
松尾聰, 永井和子校注・訳『枕草子』(日本古典文学全集11)小学館 1972年
田中重太郎著『枕冊子全注釈 1』(日本古典評釈・全注釈叢書)角川書店 1972年
池田亀鑑編著『源氏物語大成 校異篇1』中央公論社 1953年
神宮司廳 [編]『古事類苑 神祇部4』普及版「賀茂祭」 古事類苑刊行会 1935年

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