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2008年3月の記事

2008年3月31日 (月)

裁縫

188saiho_1 衣裳を仕立てる裁縫は、女房のみならず、当時の女性全般にとって重要な仕事のひとつでした。
家刀自として、夫や子供など家族の衣裳を調える必要があったからです。

例えば『蜻蛉日記』には兼家から作者の許に仕立物の依頼が度々あったことが記されていますし、それが最後になると最早兼家の装束の用意をすることはなく、年末に道綱の新年の装束だけを用意するという、兼家との離別を印象付ける記述で終わっています。
つくり物語の例では、『落窪物語』で落窪の君が優れた裁縫の腕を持つために継母の北の方に常に縫い物を言いつけられており、落窪の君がいなくなってからは蔵人の少将(北の方の実子・三の君の婿)の衣裳を満足に用意できなくなってしまい、少将が腹を立てる場面があります。
女君の手による衣裳の調製や裁縫の技量が語られるのは『源氏物語』でも同じで、

旅の御宿直物など、調じてたてまつりたまふ。(須磨巻)

と、配所にある源氏の衣類を紫の上が仕立てて届ける場面がありますし、花散里も、家庭的な女性らしく裁縫や染色に優れた人で、

今朝の朝寒なるうちとけわざにや、もの裁ちなどするねび御達、御前にあまたして、細櫃めくものに、綿引きかけてまさぐる若人どもあり。(野分巻)

と、女房達に差配して夕霧の冬物の装束などを用意する様子が描かれています。
また雨夜の品定めの中でも、左馬頭が

龍田姫と言はむにもつきなからず、織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし(帚木巻)

と死別した指喰いの女の裁縫・染色の腕を賞賛しており、『落窪物語』の例と同様、男性貴族にとっても妻の裁縫の能力の高さが重要だったことが伺えます。
(写真上は、2003年下半期風俗博物館展示より、渡殿の局で縫い物をする女房。
写真下は、いずれも風俗博物館展示より、冬支度の綿入れをする女房。左が2006年下半期、右が2004年上半期)

190saiho_3189saiho_2 季節毎の衣替えや新年の仕度だけでなく、行事儀式や祭見物などのために自分自身の装束を縫って用意することもありました。
特に主家の行事などにも侍り人目に触れる機会の多い女房達にとって、こうした特別な衣裳の用意は華やかで心浮き立つ行為の一方で、非常に頭を悩ます事柄でもあったようです。
そうした女房達の姿は、女房自身の手による作品の随所に描かれています。

高坏どもに火をともして、二人三人、三、四人、さべきどち、屏風ひき隔てたるもあり、几帳など隔てなどもしたり。また、さもあらで、集り居て、衣どもとぢ重ね、裳の腰さし、化粧するさまはさらにも言はず、髪などいふもの、明日より後は、ありがたげに見ゆ(『枕草子』二六三段「関白殿、二月二十一日に」)

積善寺供養前夜の女房達の様子です。
当日に同僚達をあっと言わせようというのか隔て隠して仕度をしている者、何人も集まって針を動かす者、化粧に念を入れ髪の手入れに熱中する者、と各々の熱気が伝わってきます。

その日になりぬれば、日ごろいつしかと待ち思ひたりつる若き人々は、また人の衣の色、匂ひにや劣らん勝らんの挑み、胸騒がしかるべし。(中略)局にはまた物縫ひ騒ぎて、「あないみじや。頭をだにこそつくろはね」など言ふもあり。また、し果てたるは、歯黒めつけなど、心のどかにわが身の化粧をし磨くもあり。(『栄花物語』巻第二十四「わかばえ」)

こちらは皇太后妍子の大饗を前にした枇杷殿の女房達の昂揚ぶり。
当日になっても縫い物が終わらず慌てている者もいれば、準備万端で悠然と化粧をしている者もあり、なんともリアルな描写です。
先に挙げた積善寺供養に勝るとも劣らぬ熱の入れようが感じられます。

人の局々には、大きやかなる袋、包ども持てちがひ、唐衣の縫物、裳、ひき結び、螺鈿、縫物、けしからぬまでして、ひき隠し、「扇を持て来ぬかな」など、言ひ交しつつ化粧じつくろふ。(『紫式部日記』寛弘五[1008]年九月十一日条)

続いてこちらは、敦成親王が無事に誕生し、御湯殿の儀を前にした女房達の様子です。
この先打ち続く祝いの儀式のために、里から新しい装束を運び込んだり、過剰なまでに刺繍や螺鈿などの凝った飾りを施したりしています。

いずれの例からも、行事を前にした女房達が化粧と並んで衣裳の新調にどれほど心を砕いていたかがよくわかります。

そして、こうした女房の熱気や慌ただしさを物語を展開させる原動力として巧みに取り込んでいるのが『源氏物語』です。

御禊明日とて、斎院にたてまつりたまふ女房十二人、ことに上臈にはあらぬ若き人、童女など、おのがじしもの縫ひ、化粧などしつつ、物見むと思ひまうくるも、とりどりに暇なげにて、御前の方しめやかにて、人しげからぬ折なりけり。(若菜下巻)

女三の宮方の女房や女童が、斎院の御禊を見物すべく裁縫やら化粧やらに余念のない様子です。
こうしてそれぞれが浮き足立って自分のことに気を取られている隙に、柏木は女三の宮の許に忍び込むのですが、その侵入を許す舞台設定として、祭見物のための縫い物が効果的に用いられています。

思ほしのたまへるさまを語りて、弁は、いとど慰めがたくくれ惑ひたり。皆人は心ゆきたるけしきにて、もの縫ひいとなみつつ、老いゆがめる容貌も知らず、つくろひさまよふにいよいよやつして、
「人はみないそぎたつめる袖の浦に
  一人藻塩を垂るる海人かな」
 と愁へきこゆれば、
 「塩垂るる海人の衣に異なれや
  浮きたる波に濡るるわが袖
(早蕨巻)

こちらは、匂宮によって二条院へ引き取られることになった中の君に従うべく、出立の仕度をする老女房達です。
新しい衣裳を仕立てたり化粧を施したりと忙しがっている立居振舞に、晴れがましい都入りに胸を膨らませる女房達の高揚感が表現されており、別離の悲しみと心細さに暮れる中の君や弁の尼との対照が際立ちます。
この場面は「国宝源氏物語絵巻」にも描かれているので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

火明う灯して、もの縫ふ人、三、四人居たり。童のをかしげなる、糸をぞ縒る。(中略)右近、
「いとねぶたし。昨夜もすずろに起き明かしてき。明朝のほどにも、これは縫ひてむ。急がせたまふとも、御車は日たけてぞあらむ」
と言ひて、しさしたるものどもとり具して、几帳にうち掛けなどしつつ、うたた寝のさまに寄り臥しぬ。
(浮舟巻)

宇治に隠し据えられた浮舟を匂宮が探し当てて覗き見る場面ですが、ここで人々は翌日の石山詣に備えた裁縫に精を出しています。
その浮き立つ気分と単調な手先仕事が女房達の口を軽くさせ、匂宮の興味を掻き立てる会話が次々と展開される流れになっています。

こうして例を並べてみると、女房の重要な仕事のひとつとして日常生活の中で頻繁に行われた縫い物を、そのときの昂揚した気分まで含めて物語の場面展開に利用していることがわかります。
さすがに女性が書いた作品と言うべきでしょうか。

191saiho_4 また、『紫式部日記』には

内匠の蔵人は長押の下にゐて、あてきが縫ふ物の、重ねひねり教へなど、つくづくとしゐたるに、(寛弘五[1008]年十二月三十日条)

と、年末の行事も終わってくつろいだ中で内匠の蔵人が女童に裁縫を教えている記事がありますが、これも女の子にとって裁縫が必要不可欠な技術だったからこその光景でしょう。
(写真は、2003年下半期風俗博物館展示より、渡殿の局で女童に裁縫を教える女房)

最後に、誰しも覚えのある失敗を再び『枕草子』から。

とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針を引き抜きつれば、はやく後を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるも、ねたし。(第九一段「ねたきもの」)

短くてありぬべきもの とみのもの縫ふ糸。(第二二〇段「短くてありぬべきもの」)

急ぎの仕立物に追われた当時の女性達の仕事の一端が窺われる記述です。

裁縫についての仮名作品の記事は、活き活きと働く当時の女性達の姿を髣髴とさせてくれます。

【参考文献】
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
古典総合研究所作成「語彙検索
佐藤和雄氏作成「源氏物語の語彙検索(KWIC)

※この記事は、小池笑芭さんのWebサイト「源氏の部屋」に掲載していただいている「裁縫~女性の仕事の一片~」を加筆修正したものです。

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2008年3月 9日 (日)

御帳台

184michodai_1_3 185michodai_2_2 御帳台は貴人の休寝に用いられた調度で、現代風に言えば天蓋付きのベッドです。
寝具をどかして茵を敷き、昼の御座としても使われました。
『類聚雑要抄』『満佐須計装束抄』には、いずれも母屋に据える調度のひとつとして挙げられています。

御帳台の構造や室礼は、上に挙げた二書に非常に詳しく書かれています。
それらの記述に沿ってご紹介しますと、まず、板敷の上に浜床(はまゆか)と呼ばれる黒塗りの台を据え、その上に土敷(つちしき)と呼ばれる繧繝縁の畳二帖を北南に敷きます。
(二書とも、浜床を置くのは后などの御帳台のみとしていますが、『うつほ物語』楼の上上巻の「浜床をのみぞ、いぬ宮の御料は、ささやかにせさせたまへる」との描写からは俊蔭女といぬ宮の御帳台に浜床があったと読める他、『源氏物語』でも后ではない女君の寝所で「(ゆか)」という表現が出てきますし(空蝉巻・蛍巻)、国宝『源氏物語絵巻』柏木(一)には女三の宮の御帳台に浜床がはっきりと描かれています。
『源氏物語図典』「浜床」の項によると
「本来、帳台には、浜床があったが、後に省かれるようになったものかとされる」
とのことで、『類聚雑要抄』『満佐須計装束抄』の成立時期は『源氏物語』の書かれた時代より150年以上後であることも、一方では考慮する必要があるようです)
次に、土敷の四隅にL字型の土居(つちい)を据え、土居の角毎に1本ずつ、合計12本の柱を立てます。
その上に鴨居を置き、漆塗りの枠に白い絹を張った天井を乗せます。
それから、四隅には四幅の帷子を、四幅の帷子の間の四方には五幅の帷子を掛け、上部に帽額(もこう)を引きます。
186michodai_3内部には四尺几帳を三本、南・東・西に立て(したがって北側が出入り口になります)、三方の五幅の帷子を几帳の横木の高さに合わせて巻き上げます。
土敷の上には表筵(うわむしろ)や地鋪を敷き、南を枕にして衾を置きます。
『満佐須計装束抄』には、枕の左右に枕几帳と呼ぶ小さな几帳を立てることが記されていますが、『類聚雑要抄』では、枕几帳は普通は用いず聟娶のときに立てるとしています。
更に魔除けとして、枕のある南側の柱には犀の角を、反対の北側の柱には鏡を、それぞれ掛けます。
帝・后の御帳台の場合は、前に鎮子の獅子・狛犬が置かれます。
『枕草子』第二六三段で里邸・二条の宮の定子中宮の御座について「御しつらひ、獅子、狛犬など」と記しているのは、この御帳台の獅子・狛犬のことです。

以上で、御帳台の室礼は完成となります。

187michodai_4 帷子は夏冬の衣更えで掛け替えました。
『類聚雑要抄』では、冬は練平絹、夏は生平絹で、いずれも白泥で「野条秋草等」を描くとしています。
『源氏物語』の中でも、明石巻や総角巻に御帳台の帷子の衣更えのことが記されています。
また、出産時には調度や衣類を白一色にすることが知られていますが、御帳台も白木でつくり白い帷子を掛けたものに替えました。
『紫式部日記』にはご存知のとおり彰子中宮の出産が詳述されており、「白き御帳に移らせたまふ」との記述をはじめ、御帳台の周りに集まった人々の心配や動揺、泣き笑いが活写されています。

『源氏物語』では、御帳台はほとんど「御帳」と記されます。
用例を眺めると、若紫巻や葵巻など、結婚を象徴するように御帳台が点描されている例が散見されます。
中でも特に意味深長に思われるのが、荒木孝子氏「調度」(『平安時代の信仰と生活』所収)も指摘する女三の宮にまつわる御帳台の描写です。
裳着に際して朱雀院がせめてもの箔付けにと「御帳、御几帳よりはじめて、ここの綾錦混ぜさせたまはず、唐土の后の飾りを思しやりて」(若菜上巻)美々しく調えられ、降嫁にあたっては「この院にも、御心まうけ世の常ならず。若菜参りし西の放出に御帳立てて」(同巻)と源氏が心を砕いて準備した上に「かの院よりも御調度など運ばる」(同巻)と畳み掛けられます。
更に、小侍従が柏木を「御帳の東面の御座の端」(若菜下巻)に導いたことが悲劇を招き、父の手で出家を遂げることになる朱雀院との対面も「御帳の前」(柏木巻)でした。
そして最後に女三の宮の御帳台が登場するのは、出家した宮の持仏開眼供養の場面で「夜の御帳の帷を、四面ながら上げて」(鈴虫巻)仏像が安置された状態なのです。
父院が幸せな結婚を願って用意した御帳台が、若くして世を捨てた宮の持仏の御座になるという結末は、なんとも憐れでなりません。

尚、風俗博物館の実物大展示室には『類聚雑要抄』の記述に基づいて内部まで細密に再現した御帳台があり、外からは勿論、中に入って見学することもできるようになっていますので、ご来館の際は1/4模型の展示だけでなくこちらもお見逃しなく。

記事中の写真は、左上から順に以下のとおりです。

  • 2005年11~12月に催された時代装束体験イベント「京の家づと」で設置された実物大の御帳台(浜床なし)
  • 2005年上半期風俗博物館展示「三日夜の餅の儀(夕霧と雲居の雁の結婚)」より、御帳台(浜床あり)
  • 京都御所清涼殿の御帳台(2005年11月撮影)
  • 2006年3~4月に開催された風俗博物館出張展示「六条院へ出かけよう」より、白い御帳台の中で出産に備える女三の宮と介添えの女房

【参考文献】
小町谷照彦編『[必携]源氏物語を読むための基礎百科』(別冊国文学No.56)學燈社 2003年
秋山虔, 小町谷照彦編『源氏物語図典』小学館 1997年
山中裕, 鈴木一雄編『平安時代の信仰と生活』(平安時代の文学と生活)至文堂 1994年
源氏物語の語彙検索(KWIC)
古典総合研究所作成「語彙検索

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