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2008年4月の記事

2008年4月27日 (日)

鞍馬寺

193kuramadera_1 光源氏が幼い紫の君と出会う北山の「なにがし寺」は、『河海抄』が「鞍馬寺歟」と注して以来、永らく鞍馬寺をモデルとするのが通説でした。
昭和になって、“鞍馬寺では都から遠すぎる”“鞍馬山から都は見渡せない”“『源氏物語』執筆当時の鞍馬寺は真言宗だった”など若紫巻の記述との食い違いが指摘されるようになり、特に角田文衞氏が詳細な考証を基に大雲寺をモデルとする論文「北山のなにがし寺」(『若紫抄 : 若き日の紫式部』〔至文堂 1968年〕所収)を発表して以降、鞍馬寺説は否定されたように思われますが、意外に近年の出版物でも「なにがし寺」を鞍馬寺と記しているものが結構あります。
ごく最近の例としては京都市が源氏物語千年紀事業として各地に設置した「源氏物語ゆかりの地」説明版が挙げられ、「なにがし寺」の候補地として大雲寺と並んで鞍馬寺にも説明版が設置されています。
(参照:京都市情報館〔京都市ホームページ〕内「「源氏物語ゆかりの地」説明板について」)

「なぜ未だに鞍馬寺説が生き残っているのか?」という疑問から、実際に春の鞍馬寺を訪ねてみました。
その結果から申しますと、
「たとえ地理的には一致しなくても、鞍馬寺は現代の読者が若紫巻の描く情景を疑似体験するには相応しい場所である」
と言えます。
ちょうど、京都御所が地理的には平安宮内裏と全く違う場所にあるけれど、あそこを訪れることで『源氏物語』に描かれた内裏の諸場面を想像することができるのと、同じ関係です。

鞍馬寺は、仁王門から山桜に囲まれています。
市街地の桜の満開から1週間後に訪問したこのときはまだ蕾~3分咲き程度で、あと5・6日もすれば「京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて」(若紫巻)という情景になると思われました。

194kuramadera_2 195kuramadera_3 仁王門をくぐると、山特有のひんやりとした空気に包まれ、参道の傍らには小川、そして少し登ると「魔王の滝」と呼ばれる滝が落ちています。
この辺りは、源氏が僧都の坊に泊まった場面で「山風」「滝のよどみ」「山おろし」「滝の声」と繰り返される描写を連想させます。

「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社を通り、若き日の源義経が暮らした東光坊跡に建てられた義経公供養塔を過ぎると、いよいよ清少納言が「近うて遠きもの」(『枕草子』第一六一段)と記した九十九折参道にかかります。
この九十九折の道が、鞍馬寺を「なにがし寺」のモデルと見做す最大の根拠となりました。

すこし立ち出でつつ見渡したまへば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる、ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくし渡して、清げなる屋、廊など続けて、木立いとよしあるは、(若紫巻)

源氏が聖の巖屋から僧都の坊を見つける場面です。
ただし、現在の鞍馬寺の九十九折参道は杉などの背の高い木々に覆われており、下を見通すことはできません。
本殿金堂までの道のりは、高さにすれば110mほどですが、歩く距離は791m。
30分ほど山道を歩くことになります。
この参道のそこここにも山桜が植わっていますが、どの木もまだ蕾でした。
やはり市街地よりはだいぶ花期が遅いようです。

196kuramadera_4 197kuramadera_5 長い参道を登りきると、さまざまな種類の桜に埋もれるようにして建つ本殿金堂に辿り着きます。
ここの桜は参道の山桜よりも少し花期が早いらしく、ほぼ満開の種類もありました。
これやこの音に聞きつるうず桜くらまの山に咲けるなるべし」(『定頼集』45番歌 『夫木和歌抄』巻四春部四にも採録〔1443番歌〕)を思い出させる見事な桜です。

更に奥の院魔王殿へ向かう参道を登っていくと、霊宝殿の少し手前にある鐘楼から、本殿金堂を見下ろすことができます。
この参道は九十九折ではありませんが、高いところから視界が開けて屋根や参拝客の様子が見下ろせる点は、上に引いた「高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる」情景とちょっと似ています。

以上のように、鞍馬寺は随所に若紫巻が描く「なにがし寺」の雰囲気を味わうことのできるお寺です。

最後に、平安時代の鞍馬寺についてざっとご紹介しておきましょう。
創建は延暦十五[796]年、造東寺長官であった藤原伊勢人が東寺草創に伴って堂塔伽藍を建立したと伝えられています。
(寺伝では、それ以前に宝亀元[770]年に鑑真の弟子・鑑禎が毘沙門天像をこの地に祀ったのが始まりとあるそうです)
寛平年間[889-898]に東寺十禅師逢延が伊勢人の孫・峰直の帰依を受けて鞍馬寺根本別当となって以来真言宗の公寺となりましたが、天永年間[1110-1113]に天台座主忠尋が来山したのを機に天台宗に改宗し、延暦寺の末寺になりました。
平安初期から都の北方の守護神として信仰を集め、藤原頼通(『小右記』長和三[1014]年一月十四日条・『御堂関白記』寛仁二[1018]年二月十四日条)や白河上皇(『中右記』寛治五[1091]年九月二十四日条)などの参詣の記録も見られます。
本尊中尊の毘沙門天像は、左手を額にかざして遠方を眺める姿をしており、いかにも北方を守護するに相応しく思われますが、両腕の部分は後補で、当初は古図に描かれているように戟を執る姿だったとする説もあります。
あまりにも有名すぎて今更言うまでもないでしょうけれど、源義経が幼少期を過ごしたお寺でもあります。

少し行きにくい場所にある鞍馬寺ですが、是非とも市街地の桜が散り過ぎた頃に訪れることをお薦めします。

写真は上から順に以下のとおりです。すべて2008年4月撮影。

  • 石段下から見上げた仁王門
  • 筧から落ちる魔王の滝
  • 杉木立に囲まれた九十九折の参道
  • 桜の花越しに見た本殿金堂
  • 鐘楼から見下ろした本殿金堂を中心とする鞍馬山の風景

【Data】
住所:京都市左京区鞍馬本町1074
交通:叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅・京都バス鞍馬下車徒歩5分
拝観:9:00~16:30 愛山料200円(中学生以下は無料)
tel.:075-741-2003

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
角田文衞, 加納重文編『源氏物語の地理』思文閣出版 1999年
伊藤博編集『源氏物語の鑑賞と基礎知識5 若紫』至文堂 1999年
国史大辞典編集委員会編『國史大辭典』吉川弘文館 1979-1997年
平凡社[編]『京都市の地名』(日本歴史地名大系27)平凡社 1979年
東京大学史料編纂所作成「古記録フルテキストデータベース
総本山鞍馬寺『くらま山』 ※拝観者用パンフレット

※角田文衞氏の論文「北山のなにがし寺」は、上記『源氏物語の地理』『源氏物語の鑑賞と基礎
 知識5 若紫』にも収録されています。

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2008年4月11日 (金)

『京都源氏物語地図』

192genjichizu アクセス解析を見ていると「源氏物語 ゆかりの地」といった検索キーワードで当Blogにアクセスなさる方が結構多いようなので、今回はそういう情報をお探しの方にお薦めの地図をご紹介いたします。

『京都源氏物語地図』
紫式部顕彰会編纂 思文閣出版 2007年
ISBN:978-4-7842-1372-6 税込840円

タイトルに相応しく優美な藤立涌文様で飾られたケースを開けると、地図が1枚と解説冊子が1冊。
地図は両面で、平安京内の第1図と、北は鞍馬から南は岩清水・宇治までの京外を収めた第2図が、表裏に印刷されています。

この地図の特徴は、何と言っても“1枚の地図で『源氏物語』の世界と平安時代と現代とを重ねて見られる”こと。
現代の京都の地図に、平安時代の道路や歴史上の邸宅・寺社等、それに『源氏物語』に登場する建物などの位置が色分けして記載されているのです。
現代の地図に平安京条坊図を重ねた地図は、今までにもあったと思います。
平安京条坊図や平安時代の街道を描いた地図の上に『源氏物語』に登場する建物の想定位置などを書き込んだものも、割とよく目にします。
ですが、現代と平安時代と物語の世界を3つ一遍に重ね合わせた地図というのは、これまでなかったのではないでしょうか。
とてもユニークで面白い試みだと思います。

歴史上の邸宅と物語の邸宅を地図上で同時に眺められることで、登場人物の邸宅に想定される位置に実際にはどんな建物があったのかがわかり、想像が膨らみます。
例えば、物語上の右大臣の邸に想定される左京三条二坊一町は、実際には東三条殿があり、その東隣で藤壺の三条宮に想定される同八町には定子中宮の二条宮がありました。
単に平安京条坊図に登場人物の邸の想定位置が書いてあるだけだと、どうしてその場所と考えるのが適当なのかがぴんとこないことが間々ありますが、『源氏物語』が書かれた当時にそこに何があったのかがはっきりすると擬えられた理由も理解できるようになります。
作者や同時代の読者も、実在する貴顕の邸宅を思い浮かべながら登場人物の邸の場所を想像していたのかも?と考えると、平安時代の読者の気分を疑似体験できる地図とも言えるかもしれません。

このような地図が現代の地図と重なっていることで、その場所に足を運んでみることも簡単にできます。
特に第1図については、石碑や駒札の場所、更には物語上の邸宅などの想定位置近辺のバス停まで記載されている充実ぶり。
折り畳んでケースにしまえば21cm×10cmというコンパクトサイズですので、荷物にもなりません。
地図を持って京都の町を歩くことを想定してつくられているのも嬉しい点です。

もう1つ忘れてはいけないのが、地図に付随する冊子です。
折り畳んだ地図と同じ大きさの小冊子で、全31ページとコンパクトながら、地図上に示された邸宅類の居住者と所在地、由来や概略、更に『源氏物語』の邸宅については関連する物語中の場面や想定地の異説も記されています。
地下鉄・バスの交通案内も付いており、地図本体と同様、現地を訪れるのに役立ちます。
また、『平安京提要』付図から転載された平安宮内裏復元図(現代の地図の上に発掘調査結果を基に復元した内裏の殿舎・回廊等の位置を重ねたもの)や、「『源氏物語』の地名と伝承地」「紫式部越前下向の道」と題した計4ページの解説文も収められていて、小さい割には盛り沢山の内容です。

机の上に広げて物語と歴史の交錯を眺めるもよし、携えて京都の町に飛び出すもよし。
いろいろな楽しみ方のできる地図だと思います。
思文閣出版Webサイト内の『京都源氏物語地図』のページには地図のサンプル画像も掲載されていますので、ご興味をお持ちの方は是非ご覧になってみてください。

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