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2008年8月 1日 (金)

西院野々宮神社

205saiinnonomiya_1 『源氏物語』屈指の名文と名高い賢木巻の「野宮の別れ」の場面の舞台というと、観光ガイドなどの影響で嵯峨野宮町の野宮神社だと思っていらっしゃる方が多いようですが、実は野宮跡と考えられる場所は野宮神社だけでなく他に何ヶ所もあります。
今回ご紹介する西院野々宮神社もその1つです。

最初に、そもそも“野宮とは何か”を簡単に押さえておきましょう。
天皇の代替わりと共に伊勢斎王に卜定された皇女は、まず宮中に設けられた初斎院で約1年間潔斎生活を送り、その後野宮に移って更に1年間潔斎を続けた後、卜定後3年目の九月上旬の吉日を選んで大極殿にて斎王発遣の儀(『源氏物語』や『栄花物語』などに「別れの櫛」と記される、天皇が斎王の額に櫛を挿して別れを告げる儀式)を執り行い、神嘗祭(かんなめさい。新穀を天照大神に奉る伊勢神宮の最も重要な祭)に合わせて伊勢へ出立しました。
神に仕える斎王となるための準備期間として身を清めて過ごした地が野宮だった訳です。
『延喜斎宮式』には「卜城外浄野。造野宮畢。」とあり、野宮は平安宮大内裏の外の浄野に、占いで場所を選んで造営することが記されています。
浄野」の場所ははっきりと記されていませんが、野宮が設けられたのは主に嵯峨野を中心とした地域で、野宮跡と伝わる場所も現在の右京区に集中しています。
いずれにしても、野宮は斎王一代毎に違う場所に建てられたということで、紫式部がどの斎王の野宮をモデルにしたかを明らかにし、尚且つその場所を特定しない限り、どこも「ここが『野宮の別れ』の場面のモデルです」などと名乗ることはできないのです。
(紫式部が生きた時代に野宮に入った斎王は、『紫式部日記』の記述から賢木巻の執筆を寛弘五[1008]年以前と考えても確実に2人はおり、そのどちらがモデルだったかも、それぞれの斎王が入った野宮の位置も、特定することはまず不可能と思われます)
「野宮の別れ」の舞台を訪ねたいとお考えの方には、このことを是非知っておいていただきたいと思います。

さて、野宮神社に比べると格段に知名度は低いものの同じく「野々宮」の名を冠する西院野々宮神社は、「西四条斎宮」とも称され、西小路四条から西へ1本目の通りを南に200mほど下ったところにあります。
とても小さな神社ですが、木々が鬱蒼としていて人気もなく、周辺の変電所やアパートなどとは明らかに異なる空気に包まれています。
『源氏物語』賢木巻に、「小柴垣」で囲まれ「黒木の鳥居ども」が立ち、「板屋ども」が並んだ先に「火焼屋」「北の対」があると描かれ、『延喜斎宮式』によれば145人もの斎宮寮の職員達が控えたという野宮の規模は到底偲ぶべくもありませんが、一方で「人気すくなく、しめじめとして」(賢木巻)という雰囲気はこんな風であったか…と思われるほど、夏でもひんやりとしていて静かな一角です。

206saiinnonomiya_2 鳥居は写真のとおり黒木ではなく、それが少々残念でしたが、社殿は板屋造りの仮宮だったという野宮を偲べそうな質素な造りです。
神社の由緒書によると、この社殿は安永四[1775]年十月二十八日に後桃園天皇より宮中の賢所を拝領して造営したものだそうです。
お祀りしているのは倭姫命と布勢内親王。
倭姫命は、皆様ご存知のとおり、垂仁天皇の皇女で天照大神鎮座の地を伊勢に定めたと伝えられ、伊勢神宮最初の斎王とされます(崇神天皇の代の豊鍬入姫命を起源とする説もあり)。
布勢内親王は、桓武天皇の皇女で、平安京から伊勢へ旅立った初めての斎宮です。
『平安時代史事典』によれば、布勢内親王は伊勢下向前に「野宮」と称する場所に入ったことが史料の上で確認できる最古の斎宮でもあるそうです。
また、藤原敦忠との恋で有名な雅子内親王(朱雀朝の伊勢斎王)が『後撰和歌集』や『玉葉和歌集』に「西四条斎宮」の呼称で記されていることから、神社では雅子内親王が入った野宮もこの地であるとしています。
(でも、選りにも選って敦忠の「あいみての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」を引いて、潔斎の地である野宮を「王朝人の恋の舞台」と言ってしまうのは、いくらなんでも問題があるのではないかと思うのですが…)
『河海抄』は「野宮は四条の西の末也」(巻五・葵)と記しており、室町時代にこの神社が「野々宮」と呼ばれていたらしいことと、かつての右京は田園化して洛外と見做されるようになっていたことを考え合わせると、著者の四辻善成はここを六条御息所母子が入った野宮に想定したと読めます。
ただし、右京と言っても朱雀大路からさほど離れておらず、後述のように淳和院に程近いこの地が、室町時代ならぬ平安中期に「遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり」(賢木巻)という情景だったかどうかとなると、疑問ではあります。

神社創建の由来は明らかでなく、どの時代の野宮跡かもわからないようですが、江戸時代には西院春日町にある西院春日神社の御旅所となりました。
現在でも10月第2日曜日には、春日神社の神輿がここに渡御し、祭典が営まれているそうです。
西院春日神社の方には野宮との関連はありませんが、この付近は淳和天皇が退位後の後院とした淳和院の故地で、境内には淳和院の礎石と伝わる石もありますので、平安時代がお好きな方は併せて立ち寄ってみるとよろしいかと思います。

写真は、上が通りから見た境内、下が拝殿です。いずれも2004年8月撮影。

【Data】
住所:右京区西院日照町55
交通:阪急京都線・京福嵐山線西院駅または市バス西大路四条下車徒歩15分
    市バス四条中学前下車徒歩3分
拝観:境内自由
tel.:075-312-0474

【参考文献】
紫式部顕彰会編纂『京都源氏物語地図』思文閣出版 2007年
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD-ROM版』角川学芸出版 2006年
平凡社[編]『京都市の地名』(日本歴史地名大系27)平凡社 1979年
西院野々宮神社(公式ホームページ)
平安京探偵団淳和院跡

※この記事は、小池笑芭さんのWebサイト「源氏の部屋」に掲載していただいている「野々宮跡を巡る1 西院野々宮神社」を加筆修正したものです。

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