« 使用テキスト一覧 | トップページ | 掲載記事のご案内 »

2011年6月12日 (日)

紫野斎院跡

225saiin_1斎院」という言葉は、一般的には賀茂の大神に仕える未婚の皇女・女王(=賀茂斎王)を指し、『源氏物語』にも「朝顔の斎院」と読者に呼び習わされる女性が登場しますが、本来は賀茂斎王の居所を指す言葉でした。
今回取り上げるのは、人物ではなく場所の方の斎院です。

賀茂斎王は、伊勢斎王(斎宮)と同じく新帝即位に伴って卜定され、宮城内の初斎院で潔斎した後、卜定から3年目の四月に賀茂川での禊を経て斎院に入りました。
以後は毎年四月の中の酉の日に行われる賀茂祭に奉仕し、祭に先立って斎院から賀茂川に出て行う御禊や、祭当日~翌日に斎院と上賀茂・下鴨両神社とを往復する斎王の行列は、都人のまたとない見物の対象でした。
『枕草子』には賀茂祭と還立(かへりだち。上賀茂神社から斎院への還御)を見物する人々の様子が活写されていますし、『源氏物語』葵巻に描かれる御禊見物を巡っての車争いはあまりにも有名です。

そうした行列の出発・終着点である斎院はどこにあったのか?と言うと、『文徳実録』仁寿二[852]年四月乙卯条に「是日。始入紫野斎院。」とあるのが斎院の場所が明記される最初の例とされており、建暦二[1212]年に最後の斎王・礼子内親王が退下して斎院制度が廃絶するまで、特に場所の変更はなかったようです。
一条朝の頃も斎院が紫野にあったことは、『源氏物語』賢木巻で源氏が雲林院に参籠する場面で
吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり
と語られていることや、『枕草子』第三十八段「鳥は」の中に
祭の帰さ見るとて、雲林院、知足院などの前に車を立てたれば
と記されていることなどからも窺えます。

ここから更に進めて、紫野斎院の位置の特定を試みたのが角田文衞氏です。
角田氏は、平安時代のさまざまな文献から

  1. 斎院は、大宮末路の西側に接して営まれ、一条大宮と雲林院の中間に所在したこと
  2. 斎院の南に接して「南大路」と呼ばれる大路が東西に通じていたこと
  3. 斎院は南が正面であること
  4. 斎院は、方五十丈の敷地を占めていたとみなされること
  5. 斎院の西側を有栖川が流れていたこと

更に中世の文献から

  1. 大宮末路には、斎院の直ぐ南に石橋が架かっていたこと
  2. 有栖川は、「安居院北大路」をよぎり、東に屈折し、大宮末路の近くで舟岡方面から流れて来た小川と合流し、大宮末路を横切っていた(そこに石橋が架かっていた)こと

の合計7つの条件を抽出し、現在の京都市上京区大宮通廬山寺上る西入る社横町に鎮座する櫟谷七野神社を含む約150m四方の一画が紫野斎院であったと推定しています。
現在、櫟谷七野神社の境内には賀茂斎院跡顕彰碑が建てられ、角田氏の手になる斎院跡の説明板も設置されています。
斎院跡の解説パンフレットも販売されており、A4カラー印刷4ページの冊子に、顕彰碑の碑文と説明板の文章、歴代斎王の年譜、斎院跡の推定地を現在の区画に重ねた地図が掲載されています。

226saiin_2 尚、櫟谷七野神社は、社伝によると文徳天皇皇后・藤原明子が安産祈願のために春日明神を勧請したことに始まるとされていますが、角田氏の調査によればこの神社の存在が確認できる最古の史料は応永七[1400]年であり、平安時代から存在したとは考えにくいようです。
社名の「七野神社」は、紫野を含む船岡山麓一帯の7つの野の惣社として祀ったことに由来するとも、春日明神と合わせて伊勢・八幡・賀茂・松尾・平野・稲荷の六神を勧請したことによるとも言われていてはっきりしませんが、この点について角田氏は、斎院の守護神七柱(大殿神・地主神・御門神・御井神・庭火神・忌火神・御寵神)を斎院廃絶後に敷地内の一画に合祀したのが始まりで、祀られた神々が平凡で抽象的な屋敷神であるが故に、後になって信者獲得のために適当にご祭神を変更していったのではないか――と推測しています。
現在の櫟谷七野神社には、高沙大神・春日大神など合計22柱もの神々が祀られています。

京都市中心部からはちょっと行きにくく感じる場所かもしれませんが、ここから少し北東に歩けば雲林院、更に堀川通まで出れば紫式部墓所との伝承を持つ墳墓もありますし、逆に西に向かえば平安京建都の基準点となった船岡山や紫式部供養塔が境内に建つ引接寺(千本閻魔堂)も徒歩圏内です。
この辺り一帯の史跡を散策するつもりで訪れることをお薦めします。

写真は、上が櫟谷七野神社境内に建つ賀茂斎院跡顕彰碑、下が櫟谷七野神社入り口の鳥居です。いずれも2011年5月撮影。

【Data(櫟谷七野神社)】
住所:京都市上京区大宮通廬山寺上る西入る社横町277番地
交通:市バス天神公園前下車徒歩10分
拝観:境内自由(解説パンフレット1部100円)

【参考文献】
古代学協会, 古代学研究所編『平安時代史事典 CD- ROM版』角川学芸出版 2006年
国史大辞典編集委員会編『國史大辭典』吉川弘文館 1979-1997年
平凡社[編]『京都市の地名』(日本歴史地名大系27)平凡社 1979年
加納重文著『源氏物語の舞台を訪ねて』宮帯出版社 2011年
角田文衞「紫野斎院の所在地」(『王朝文化の諸相』〔法蔵館 1984年〕所収)
平安京探偵団「平安京を歩こう」内 紫野斎院跡
賀茂斎院跡パンフレット

日本ブログ村のランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いいたします。
 にほんブログ村 
本ブログへ にほんブログ村 歴史ブログへ

|

« 使用テキスト一覧 | トップページ | 掲載記事のご案内 »

縁の地」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113097/51924050

この記事へのトラックバック一覧です: 紫野斎院跡:

» 葵の御所開設 [千尋の美術散歩]
 以前からこつこつと「賀茂斎院」について調べてきたのですが、この度思い切ってHPを開設することにいたしました。  というのも、同じような制度として知られる伊勢斎宮については割合とっつきやすい資料...... [続きを読む]

受信: 2011年7月 2日 (土) 11時43分

« 使用テキスト一覧 | トップページ | 掲載記事のご案内 »