カテゴリー「源氏物語絵巻」の記事

2006年12月25日 (月)

生い茂らない八重葎~蓬生の庭~

平成11[1999]年~17[2005]年にかけて制作された国宝『源氏物語絵巻』復元模写19図は、さまざまな点で見る人に衝撃を与えましたが、蓬生も大いに驚きを齎した図でした。
原画は、画面の大半を占める庭の部分が茶色く褪色し、そこに何が描かれているのかはほとんどわからない状態になってしまっています。
ところが復元された図では、庭には白く眩い銀の顔料が塗られ、その上に青々とした草が点々と描き込まれていたのです。
原画の色に馴染み、『源氏物語』原文を知る者として、最初に見たときの正直な感想は
「イメージと違う」
の一語に尽きました。
絵巻ができた当初から現在のような色合いでなかったのは当然としても、それにしたってあまりに庭が白すぎる。
そして邸の荒廃ぶりに比べて草の茂り方がおとなしすぎる。
…NHKの番組を通して初めて蓬生の復元模写を目にしたとき、私が強く感じたのはこの違和感でした。

違和感の多くは、復元模写の現物を実際に見ることで解消されました。
極めて直感的ではありますが、展覧会の会場で蓬生の図と向き合ったとき、
「露に反射する月の光を表すためには、これだけの銀の広さが必要だったのだ」
と納得できたのです。
原文に繰り返し描写される美しい月の光を表現するために、草を鬱蒼と茂らせることはせず、敢えて銀色の余白を多く残したのだろう、と自分なりに理解した次第でした。

その後、『描かれた源氏物語』(翰林書房 2006年)にも蓬生の草の解釈が書かれているのを見つけました。
巻頭に収録された佐野みどり先生、三田村雅子先生、河添房江先生による座談会の中に、こんなご発言があったのです。

三田村 (前略)植物一つ一つが建物のこわれかけた木材から伸びているように描かれている。こんなにたくさん伸びて、これは忍草じゃないかと思うんだけど、「偲ぶ」という意味の葉が、光源氏に向けて伸びているわけですよね。末摘花の思いがそちらに向けて、放射されている姿に思われる。(中略)
 しかも、この下にバラなんでしょうかね。とげとげのバラが三株、黒く描かれているんですね。この建物の下にしか描かれていないので、これもやはり末摘花を象徴しているように感じる。外からの人物がやってくることを遠ざけつつ、光源氏に対しては触手を伸ばしているという、末摘花の自閉とこだわりを表すような植物群になっているのではないか。(後略)

専門家の手にかかると、こうも細密な解釈になるのか、と感嘆するばかりですが。
『よみがえる源氏物語絵巻』(日本放送出版協会 2006年)によると、この図にはヨモギやカタバミなど10種類以上の草がとてもリアルに描き込まれているそうです。
すべての草の種類に象徴的な意味があるかどうかはわかりませんが、それぞれの草が種類を特定できる姿で描かれていなければ、そもそもこうした解釈を展開する余地はありません。
描かれた草がどれも背が低く、ひとつひとつの草葉の形が見て取れるほどに疎らなのには、あるいは「何の草が生えているのかを鑑賞者に読み取らせたい」という絵師の考えがあったのかもしれません。

蓬生巻原文の描く末摘花の邸の庭の荒廃は凄まじく、「浅茅は庭の面も見えず、しげき蓬は軒を争ひて生ひのぼる」「さる薮原」「かかる浅茅が原」と草深い様子が繰り返し描かれます。
現実の植物の育ち方を考えても、例えばヨモギは1m近く、チガヤ(=浅茅)も60cm程度には育つ草で、どちらも多年草です。
この場面がまだ本格的に夏が訪れる前の卯月のことといっても、多年草ですから越年して大きく育った株が全くなかったら不自然でしょう。
また葎の一種であるヤエムグラは、原文にも「葎は西東の御門を閉ぢこめたる」との描写があるように、単体では自立せず他の草木などに茎を引っ掛けながら上へ伸びていく性質があります。
こうした事柄を念頭にこの場面の庭の有様を想像すると、芽生えたての若葉のような背の低い草ばかりがちらほらと生えているだけの穏やかな状態で済むとはとても考えられません。
にもかかわらず、復元模写で明らかにされたように余白が多く疎らに草が描かれていたのなら、きっとそこには、敢えてそういう描き方をした絵師の意図がある筈です。
どの解釈が正しいか、正しくないかは、私には判断できませんが、原文や現実と描かれた内容との間にずれを感じたら、「何のためにこうした描かれ方がされたのか」と想像を巡らせてみると面白いだろうと思います。

【参考文献】
三田村雅子, 河添房江編『描かれた源氏物語』(源氏物語をいま読み解く 1)翰林書房 2006年
三田村雅子『草木のなびき、心の揺らぎ : 源氏物語絵巻を読み直す』(Ferris Books 10)フェリス女学院大学 2006年
NHK名古屋放送局「よみがえる源氏物語絵巻」取材班『よみがえる源氏物語絵巻 : 全巻復元に挑む』日本放送出版協会
 2006年

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2006年6月 9日 (金)

折れた紫苑~東屋(二)の前栽~

国宝『源氏物語絵巻』東屋(二)は、ご存知のとおり三条の小家に身を潜めた浮舟を薫が訪ねる場面です。
復元模写では、画面の右手に大きく描かれた前栽の秋草が、ひときわ鮮やかな印象を与えています。

三田村雅子先生は、『源氏物語』原文には「慰めに見るべき前栽の花もなし」(東屋巻)と記されているにもかかわらず立派すぎるほどの前栽が描かれていること、画面全体は斜め上から見下ろした構図なのに前栽だけは正面からの視点で捉えられていることを指摘された上で、折れた枝・倒れた枝が描き込まれた紫苑に注目なさっています。
復元模写を見るとはっきりわかるのですが、前栽の右端に鋭角に折れ曲がって右斜め下方向を向いている枝が、その下に右隅からうねるように左側へと横倒しになって伸びている枝が、それぞれ描かれています。
この折れ、倒れた紫苑を、三田村先生は、亡き大君と彼女に対する薫の尽きせぬ執着の象徴と読み解いておられます。
正面からの視点が、薫が見ている前栽であることを示し、また女郎花と紫苑の組み合わせが二条院での浮舟の衣裳と一致することで浮舟を象徴しつつ、紫苑に大君が重ねられることで、全体として薫の幻視する形代としての浮舟が象徴されている、と解釈するのです。

私も、紫苑が大君の象徴であるとの解釈には賛成です。
折れ倒れても見事な花を咲かせる様子は、人生の半ばで命尽き、死して尚美しい幻影となって薫の心を捉え続ける大君と確かに重なります。
「紫苑とは当時、亡き人をしのぶ草として墓地に植えられた花であった」とのご指摘にも納得です。
ただ私には、紫苑が大君の象徴となり得る理由として、もうひとつ思い浮かぶ『源氏物語』の場面があります。

東屋(二)が描く場面の翌朝、薫は性急に浮舟を宇治へと連れ出します。
その道中、牛車からこぼれ出た2人の袖が重なり合って朝霧に濡れ、浮舟の紅の袿の袖に薫の直衣の縹が移って紫に染まります。

うち眺めて寄りゐたまへる袖の、重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを、落としがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。
 「形見ぞと見るにつけては朝露の
  ところせきまで濡るる袖かな」

原文の中に大君が紫色の衣裳を着ている場面は見当たりません。
ですが、この場面を読むと、薫の中で大君は紫の色彩イメージと共に記憶されているのではないかと思えてならないのです。
その紫が、紫苑の花の紫色に重ねられているのではないでしょうか。
宇治の物語はモノクロームの世界で、殊に大君は極めて色彩に乏しい描かれ方をしています。
それだけに、この場面で紅と縹が交じり合って浮き上がる紫は印象深く、浮舟との対面を前に薫が大君を想起するに相応しい花として、共に描かれた女郎花ではなく別の草花を書き加えるのでもなく、紫苑がそのまま選ばれたのではないかと思うのです。

【参考文献】
三田村雅子著『草木のなびき、心の揺らぎ:源氏物語絵巻を読み直す』(Ferris Books 10)フェリス女学院大学 2006年

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2006年6月 3日 (土)

前栽の意味を読み解くための参考文献

035emaki_books 国宝『源氏物語絵巻』は、いろいろな味わい方ができる作品です。
絵そのものの雰囲気を楽しむのは勿論、デザインや構図を美術的な観点から掘り下げることもできますし、『源氏物語』の原文と重ね合わせて文学的な想像を広げることも可能です。
私はつい理屈を捏ね回したくなる人間なので、描かれたものがその場面でどんな意味を担っているのか、何を象徴しているのか、といったことを主に考えています。
中でもこのところ特に興味を引かれているのが、庭に描かれている植物。
『源氏物語』の原文も植物の描写は多く、さまざまな植物が登場しますが、絵巻に描かれた植物は原文との間にしばしばズレがあり、また形状や構図にも特徴があります。
自分なりの思いつきはおいおい書いていくことにして、今日はその“思いつき”の原動力になった文献を2つご紹介いたします。

1つ目は、河添房江先生の「『源氏物語』宿木巻の自然と人間―国宝絵巻のデジタル・アーカイブから」(「國文學」48巻1号・2003年1月)
徳川美術館による復元模写プロジェクトの成果を基に、宿木(三)に描かれた前栽の秋草の意味が論じられています。
原文に登場するのは薄と菊であるにもかかわらず、なぜ菊は描かれず、替わりに萩と藤袴が描かれたのか。
それぞれの植物が象徴するものを読み解き、絵巻がこの場面を取り上げるにあたって何に焦点を合わせたのかを炙り出していく内容です。
私はそれまで、前栽に何の花が描かれているかを注意して見たことなどなかったので、何気なく描かれているように見える花のひとつひとつからも文脈が読み取れることにとても驚きましたし、自分でもそういうことを考えてみるきっかけになりました。
この論文はその後、先生の論文集『源氏物語時空論』(東京大学出版会 2005年12月 写真左)に、第五部第五章「絵巻の復元模写から読み解く『源氏物語』」の後半部分として収められています。

もう1つは、三田村雅子先生の『草木のなびき、心の揺らぎ:源氏物語絵巻を読み直す』(フェリス女学院大学 2006年3月 写真右)
こちらも復元模写プロジェクトで明らかになった絵の細部を分析し、絵巻の描き手が画面の中に織り込んだ寓意を読み取ろうとする内容で、論文調ではなく平易な文章で書かれています。
「論文」となると尻込みしてしまう方にもお薦めできる、わかりやすい本です。
書名にもなっているとおり、草木の種類そのものだけでなく、風になびいたり折れたわんだりする姿も含めて、そのように描かれたことの意味を登場人物の心情に重ねて読み解いています。
全19図のうち竹河(一)・竹河(二)・橋姫を除く16図が取り上げてられおり、1図ごとの分量はさほど多くありませんが、読者が「私だったらどう解釈するか」と想像を巡らす手がかりが沢山記されています。

これから書こうと思っている記事は、多くこのお二人の先生方から示唆をいただいているので、まず最初に敬意と感謝を込めてご紹介いたしました。
よろしければ、皆様も是非お読みになってみてください。

【Book Data】
『源氏物語時空論』(リンク先:東京大学出版会Webサイト)
著者:河添房江
発行:東京大学出版会
発行日:2005年12月20日
定価:7,140円(税込み)
大きさ:viii, 438, xiv p 22cm
ISBN:4130860348

『草木のなびき 心のゆらぎ:源氏物語絵巻を読み直す』《Ferris Books 10》
(リンク先:フェリス女学院大学Webサイト)
著者:三田村雅子
発行:フェリス女学院大学
発行日:2006年3月31日
定価:700円(本体価格)
大きさ:190 p 18cm
ISBN:4901713094

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2006年5月 4日 (木)

2つの『よみがえる源氏物語絵巻』

030genjiemaki昨年秋に完成した国宝『源氏物語絵巻』復元模写プロジェクトは、「よみがえる源氏物語絵巻」という番組名でNHKで特集され、この名称が完成した復元模写を公開する展覧会の名前にもなりました。
それに伴って、現在『よみがえる源氏物語絵巻』という同じ書名の本が2冊出版されています。
1冊は徳川美術館・五島美術館発行の展覧会図録(写真右)。
もう1冊は、TV番組の内容をまとめたNHK出版の本(写真左)。
どちらも見応え充分です。

復元模写を全図収録しているという点は2冊とも一緒なのですが、違う点もいろいろあります。
例えば収録順。
図録は巻の順番どおりに蓬生、関屋、柏木(一)・・・と並んでいるのですが、NHK出版の方は復元模写の過程を追う構成になっているので、復元された順に並んでいます。
最初に柏木(三)で、次は宿木(三)、続いて竹河(一)・・・といった具合です。
物語の順番どおりに楽しむなら図録、復元模写プロジェクトの進行を追体験するならNHK出版、でしょうか。

模写の収録方法に関しては、もうひとつ大きな違いがあります。
それはページの背景色。
図録はオーソドックスに白の背景なのに対し、NHK出版では背景が黒で、両者を並べると同じ絵でも随分と印象が違って見えます。
この絵を、東屋(一)に描かれているように青々とした畳の上に広げてみたら、どんな印象になるのだろう?
そんな想像も掻き立てられます。

復元模写の図版以外のページは、当然のことながらかなり内容が異なります。

図録の方の注目点は、何と言っても「国宝「源氏物語絵巻」模写の系譜」と題された12ページに亘る図版集。
五島美術館で展示された模本類が収録されており、貴重な資料です。
それと、徳川・五島両美術館の職員によるプロジェクトの解説が載っていて、分量はコンパクトですが内容は面白い!
鈴虫(一)の書き入れ文字は「絵師の構想段階の自分のためのメモ」ではないかという名児耶明氏の指摘は、目から鱗でした。

NHK出版の方は、番組で取り上げた復元模写作成時のポイントが丁寧に記録されています。
総合テレビや衛星第一での放送時にはカットされてしまったトピックも載っているので、ハイビジョン版の番組を見られなかった方には特にお薦めです。
また、こちらの本の最後には、復元模写と詞書のCG復元をつなぎ合わせた絵巻の図版が収録されています。
詞書の復元はまだ一部分しかできていないそうですが、一部だけでも、あの絢爛豪華な絵に負けない料紙の煌びやかさで驚かされます。
詞書もすべて復元されたらどんな姿になるのでしょうか。
“次”の楽しみがあるのがまた嬉しいところです。

それぞれに見所と面白さのある2つの『よみがえる源氏物語絵巻』
2冊とも買って正解だと思います。どちらもお薦めです。

【BOOK DATA】
『よみがえる源氏物語絵巻』(リンク先:五島美術館Webサイト)
監修:徳川美術館・五島美術館
編集:NHK名古屋放送局・NHK中部ブレーンズ
発行:NHK名古屋放送局・NHK中部ブレーンズ
発行日:2005年11月12日(五島美術館版は2006年2月18日)
定価:2,000円(税込み)
大きさ:103p 25cm×27cm

『よみがえる源氏物語絵巻:全巻復元に挑む』(リンク先:NHK出版Webサイト)
著者:NHK名古屋放送局「よみがえる源氏物語絵巻」取材班
発行:日本放送出版協会
発行日:2006年2月25日
定価:2,100円(税込み)
大きさ:157p 26cm×21cm
ISBN:4140810882

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2006年3月12日 (日)

時を止める、遡る~国宝『源氏物語絵巻』の模写~

現在、五島美術館で[特別展]「よみがえる源氏物語絵巻―平成復元絵巻のすべて―」が開催されています。
昨年秋に完成した国宝『源氏物語絵巻』19図の復元模写(「平成復元模写」と名付けられたようです)がすべて展示されている他、昭和30年代に初めて絵巻の復元に挑んだ桜井清香氏の模写や、江戸時代・住吉広行筆の古模本、大正末~昭和初期に田中親美氏が制作した剥落模本、芸大が現在も続けている剥落模写など、国宝『源氏物語絵巻』の模本類が勢揃いした展覧会です。
昨年この概要を耳にしてからずっとずっと待ち望んでいた展覧会に、昨日行ってまいりました。

なんと言っても圧巻は、平成復元模写19点。
各図について、デジタル出力した原寸大の原画図版、平成復元模写、桜井清香筆模写、の順で並んでいて、左右に比較しながらじっくり見ることができました。
昨年秋に徳川美術館で展示されたときは、原画の全点展示がメインだったためか、原画と復元模写は別の部屋に置かれていたので、今回の展示方法は嬉しい限り。
そうして実感したのは、完成したばかりの平成復元模写の、眩いまでの華麗さでした。
一部は既に見ていますし、図録で全体も把握してはいましたが、改めて実物と向き合うと、1点1点の煌びやかな色彩に圧倒されます。
柏木(二)では、壁代の桜の文様がくっきりと浮かび上がって見え、NHKの番組で言われていた「死にゆく柏木を桜が取り巻いている」という構図が理屈抜きに体感できました。
蓬生の銀の効果にも驚かされました。
TVで初めてこの図の復元模写を見たときも愕然としましたが、そのときはどちらかというと「意外」という感じが強い驚きでした。
でも実物を見て、画面には描かれていないけれど『源氏物語』原文に「月さし出でたり」「艶なるほどの夕月夜」「月影」「月明くさし出でたるに」と繰り返し記される雲間から明るく差し込む月の清冽な光が、あの銀色の庭からはっきりと感じられ、感嘆する他ありませんでした。
他にも、竹河(二)の桜の花びらや御法巻の前栽の立体感、夏・秋の場面全般に見られる直衣や指貫の下の衣を透かせる木目細かな質感、髪や御簾の線の繊細さ、更には原画を忠実に再現するために鈴虫(一)の下絵段階で書き込まれて彩色の上からもうっすらと読み取れる文字、などなど…。
図録を見ただけでは気づかなかった点が次々と目に飛び込んできて、言葉もなく見入ったまま会場1周、という状態でした。
何か途轍もないものを見てしまった、という感覚を1日経った今も抱いています。

もうひとつ衝撃的だったのは、各時代の剥落模写により、原画の傷みが現在進行形であるという事実を目の前に突きつけられたことでした。
田中親美氏筆の関屋には青い霞とその中に浮かぶ朱色の紅葉が辛うじて色を留めていたり、住吉広行筆の東屋(一)には裾濃の几帳の下の方まで柄が描かれていたり。
中でも柏木(二)は、昭和18~34年に制作された川面義雄氏制作の木版摺複製と平成17年に高島圭史氏が描いた剥落模写とが隣り合って展示されていて、半世紀の間に生じた劣化を痛感しました。

原画は今後も確実に褪色を続けていくでしょう。
ならば、現状模写は作品を押し流す時を止めようとする、そして復元模写は更に時を遡ろうとする、壮大な企てなのではないでしょうか。
いつの日か、原画が何を描いたかわからないほど劣化したり、あるいは完全に消失してしまったときには、きっと今回展示された沢山の模写達が、国宝『源氏物語絵巻』の証人となり、その役割を引き継いでいくことになるのでしょう。
止まれ!と叫んでも決して止められない“時”に流され続ける作品を、画家達は自らの手で写し取ることで、掬い上げようとしている…そんなことを感じさせられた展示でもありました。

「複製しか出ない展覧会」などと侮るなかれ。非常にお薦めです。3月26日(日)まで。

【この記事からのトラックバック】
『よみがえる源氏物語絵巻 全巻復元に挑む』 NHK名古屋(晴れのち平安)

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2006年2月 5日 (日)

国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(3)御簾の鉤

※この記事はシリーズで書いています。
 「国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(1)美麗几帳
 「国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(2)尼君
 を未読の方は、そちらから先にお読みいただければ幸いです。

事典や便覧の類で「御簾」の項を開くと、大概
御簾には、巻き上げたときに掛け留める「鉤(こ)」と呼ばれる半円形の金具が付いていて、これに「鉤丸緒(こまるお)」と呼ぶ房飾りを垂らす
と解説されています。
この説明は、平安後期に成立した『類聚雑要抄』の指図などに拠るものだそうですが、『類聚雑要抄』と概ね同時期の成立と思われる国宝『源氏物語絵巻』には鉤が描かれていないと言われていました。
これに基づき風俗博物館では、『源氏物語』が書かれた11世紀初頭には鉤を使って御簾を留めることはしておらず、絵巻作成当時はまだそのことが認識されていたために絵巻に描かれなかったのだろうと推測し、鉤を使わず紐で結ぶ形で模型を作製しています。

ですが、復元された模写を見ると、柏木(二)では巻き上げられた御簾の所々にはっきりと鉤が描かれています。
そう思って改めて原画を見てみますと、よくよく見れば御簾の弧に沿って黒ずんだ曲線が描かれているように思えます。
一方で、同じように巻き上げられた御簾が描かれている横笛や橋姫、宿木(三)、東屋(一)などでは、目を皿のようにして凝視しても鉤が描かれている形跡はなく、復元模写にも描かれてはいません。
また、東屋(二)では、簡素な簾が白い紐(?)で結び留められているように見えます。

どの図にも鉤丸緒がないのは一目瞭然です。
けれども鉤は、あったのかなかったのか、剥落と褪色が進んだ原画からはよくわかりません。
また、原画にあったとしても、それが作成当初から描かれていたものか後補(後世の補修で描き加えられたもの)なのかという問題もあります。
(顔料の色や質、筆遣いなどから、はっきり後補とわかる箇所も少なからずあるのだそうですが、それがどういう形で復元模写に反映されているのかは、筆者にはわかりません)
下ろした御簾を描いた御法や竹河(二)の画面からは、御簾の内側の帽額(もこう)に赤い紐が取り付けられているのが見て取れ、風俗博物館の模型がそうなっているようにこの紐で結び留めたか、とも考えられますが、その割には巻き上げられた御簾に赤い紐が掛かっている様子が描かれていないのは引っかかります。
上記のとおり、図によって鉤のようなものが描かれていたり描かれていなかったりするのも不可解なところです。

果たして『源氏物語』が書かれた平安中期、人々は巻き上げた御簾をどうやって留めていたのでしょうか。
国宝『源氏物語絵巻』の美術的・文学的鑑賞とはおよそ関係のないことですが、平安時代の住生活の重要な要素だった筈の御簾の上げ方は、この時代の風俗に興味を持つ筆者にとって気になって仕方がない点です。
当時のごく日常的な生活習慣ほど、1000年後の今となっては謎に包まれています。

《追記》
風俗博物館の御簾の模型のつくり方については、記事掲載時点では風俗博物館ホームページに井筒與兵衛館長が書かれた「御簾について」という文章が掲載されていて、この記事からもリンクを張っていたのですが、2006年6月のリニューアルの際に削除されてしまったようなのでリンクを解除しました。

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2006年1月29日 (日)

国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(2)尼君

※「国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達(1)」を未読の方は、そちらから先に読まれることをお薦めします。

国宝『源氏物語絵巻』竹河(二)は、現存する絵巻の中で屈指の華麗な場面になっています。
真ん中に満開の桜、左手には折に相応しい彩りの衣裳を着た姫君達、そして画面上部にも美しく装った女房達と、暖色中心の色彩で全体にとても明るく華やいだ雰囲気です。

ところが、この絵の左隅に、なんとも不似合いな人物が描かれています。
それは尼君。
御簾の内側に立てられた几帳の向こうに、顔と衣裳の端が覗いているだけですが、褪色した原画でも甘草色の袴ははっきりと見て取れます。
袿の色は原画だと判然としませんが、復元模写では尼君に相応しく濃い青鈍色になっています。
確かにここには、尼君が座っているのです。

ですが、この場面の原文をいくら読んでも、尼君がこの場にいたとは出てきません。
そもそも玉鬘邸に出家の身で仕えている(例えば宇治十帖の弁の尼のような)女房がいるというような記述もありません。
また、原文では姫君達の傍らに控えて碁の判者を務めたのは弟の侍従の君と記されています。
全く原文からは読み取れない人物が、どうして画面の片隅とはいえ、この場面の主役である姫君達のすぐ傍らに描かれたのでしょうか。
原文にない人物をわざわざ描いたのは、何かしら画家に明確な意図があってのことと推測されるのですが、その意図が一体何なのかは、筆者には皆目見当も付きません。
竹河巻の中には、大君を冷泉院に、中の君を尚侍として宮中に出仕させた後、玉鬘が出家しようと思い立つものの息子達に諌められて断念する場面がありますけれど、あるいはそれと関係があるのかないのか。
わからないまま、あれこれ想像を巡らすばかりです。

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2006年1月20日 (金)

国宝『源氏物語絵巻』に描かれた謎のモノ達 (1) 美麗几帳

国宝『源氏物語絵巻』の科学分析と復元模写のプロジェクトは、NHKで5年にわたって特集番組が放映されたりして、ご存知の方も多いかと思います。
去年秋に徳川・五島両美術館所蔵全19点の復元模写が完成し、11月12日~12月4日に徳川美術館で開催された国宝『源氏物語絵巻』全点展示では、これらの復元画も一緒に展示されました。
プロジェクトを通して、褪色と剥落の進んだ原画を肉眼で見るだけではわからなかった部分が解明されたり、これまで言われていた通説が覆されたりと、さまざまな発見がなされ、今後の研究の進展も期待されているところですが、逆に色鮮やかな復元模写によって細部がはっきりしたことで、「なんでこんなところにこんなものが?」と首を傾げたくなるような箇所に気づくようにもなりました。
このトピックでは、筆者が個人的に不思議に思っている“謎のモノ達”を、結論も何もなく疑問形のままご紹介いたします。
(もしかしたら、既に何らかの研究論考が発表されているかもしれません。調査の行き届いていない点はご容赦ください)

今回取り上げるのは、柏木(一)と柏木(二)、そして橋姫に描かれている煌びやかな几帳です。

原画では画面全体が茶色っぽく変色しているので目立ちませんが、柏木(一)で女三の宮・朱雀院・光源氏の3人と女房達とを隔てる2本の几帳の帳(かたびら)は、梔子色の地の全面に三重襷花菱の文様が配された大変華やかなものです。
女三の宮の脇に立てられた裾濃の三尺几帳もそうですが、このように華麗な織りや染めを施した帳を掛けた几帳は、特に「美麗几帳」と呼ばれ、儀礼の折などに用いられました。
女三の宮は何と言っても二品内親王で六条院の正妻ですから、豪華な几帳に囲まれていること自体は別に不思議でも何でもありません。

ですが、同じ几帳が他の場面でも描かれているとなると、ちょっと趣は変わってきます。
柏木(二)では、夕霧が裾を捲っている柏木の枕元の几帳が、同じ色、同じ文様で描かれています。
女房達のいる画面左側の几帳はごく普通の白地に朽木文様の帳ですので、余計にこの美麗几帳が目に付きます。
そして橋姫では、画面左隅、筝を弾く姫君の横に立てられた几帳が、やはり梔子色の地に三重襷花菱文様の帳です。
太政大臣の嫡男である柏木のごく身近なところに設えてあるのが美麗几帳だというのは、人臣の頂点に立つ一家の権勢と派手好みな父大臣の性格とを考えるとわからなくもありませんが、宇治に隠棲している没落した宮家に絢爛たる美麗几帳というのはどうにも似合いません。
しかも、他に描かれた美麗几帳は、いずれも裾濃の几帳で、このように全面に彩色が施され文様が描き込まれているのはこの3場面の4本のみなのです。

多くの場面の絵が散逸してしまった以上、現存している絵だけを取り上げて共通性を云々するのはナンセンスかもしれません。
ですが、六条院世界を崩壊させた密通の当事者達――女三の宮、柏木、そして2人の間の不義の子・薫――が、その宿命を己の身に引き受ける重大な場面を描いた3つの絵に、色も柄も同一のモノが描き込まれているのは、何か意図があってのことではないかという気がしてなりません。
華やかな王朝貴族の世界を描いた『源氏物語絵巻』の中でもひときわ煌びやかな美麗几帳の色彩が、六条院の完璧な栄華の翳で苦悩と悲哀を抱える3人のつながりを逆説的に示している…と読むのは、あまりに深読みが過ぎるでしょうか?

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